親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

Vol.05「邪見を離れること ―『月蔵経』「諸悪鬼神得敬信品」試論 ―」

研究会報告

親鸞仏教センター研究員

藤原 智

(FUJIWARA Satoru)

 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んでいる。「化身土巻・末巻」は末法という時代を通して親鸞が見いだした人間の問題(異執)が描き出されている。今回は、『日蔵経』に続く『月蔵(がつぞう)経』の引用について、「邪見」をキーワードに追っていきたい。

■ 「諸悪鬼神得敬信品(しょあくきじんとくきょうしんぼん)」第八の上

 「化身土巻・末巻」は前回の『日蔵経』に続き、『月蔵経』が七文引用される。今回は『月蔵経』の始めの二文、「諸悪鬼神得敬信品」第八の上と下を見ていきたい。

 まずその前に、前回の『日蔵経』で確かめられた点を見てみよう。『日蔵経』は「念仏三昧品」から「護塔品」にかけて魔王波旬(はじゅん)の帰伏(きぶく)が描かれていた。その「護塔品」での魔王波旬の言葉を見よう。


時に魔波旬、この偈(げ)を説き已(おわ)りて、仏に白(もう)して言(もう)さく、「世尊如来、我およびもろもろの衆生において、平等無二の心にして、常に歓喜し、慈悲含忍(じひがんにん)せん」と。

『真宗聖典』372頁、東本願寺出版)


ここで魔王が仏に帰依し讃嘆して述べた「平等無二の心」という言葉は重要である。この言葉は、法然が阿弥陀仏の願心を「平等の慈悲」(『選択本願念仏集』・『真宗聖教全書』1・945頁)と語ったことと質を同じくするであろう。『日蔵経』は魔の降伏として仏道への帰入が描かれ、そこに仏陀の精神として平等無二の心が感得されることが確かめられた。そこから問題になるのは、仏道に帰入した者がその仏陀の平等の精神に生き抜くことができるのか、という問題ではないか。それが次の『月蔵経』に展開されると考えられるのである。

 では、「諸悪鬼神得敬信品」第八の上を見てみよう。この文は『月蔵経』七文全体の方向性を決定する重要なものである。その冒頭は次の言葉に始まる。


『大方等大集月蔵経』巻第五「諸悪鬼神得敬信品」第八の上に言(のたま)わく、もろもろの仁者(にんしゃ)、かの邪見を遠離(おんり)する因縁において、十種の功徳を獲ん。

『真宗聖典』372頁


 ここにまず語られる「邪見を遠離する」ことに『月蔵経』七文全体の眼目があると考えられる。この親鸞の引用箇所は、原文ではまず「衆生平等・法平等・清浄平等・布施平等・戒平等・忍平等・精進平等・禅平等・智平等・一切法清浄平等」(『大正蔵』13・325・b)という十種の平等を具(ぐ)すべきことが説かれ、さらにそのなかの戒平等について、いわゆる十善業道であるとして「殺生(せっしょう)・偸盜(ちゅうとう)・邪婬(じゃいん)・妄語(もうご)・両舌(りょうぜつ)・悪口(あっく)・綺語(きご)・貪瞋(とんじん)・邪見(じゃけん)」(『大正蔵』13・327・b)を休息(くそく)させることだと説かれていく。そのなかから親鸞は「邪見」に関する箇所のみを選び取っているのである。それは、親鸞の問題意識が「邪見」に絞られているということに他ならない。

 このことに関連して、『月蔵経』七文引用の直後に次の一文に注目したい。


また言わく、占相(せんそう)を離れて、正見(しょうけん)を修習(しゅじゅう)せしめ、決定(けつじょう)して深く罪福の因縁を信ずべし。抄出

『真宗聖典』385頁


この文は「また言わく」と始まるが、『月蔵経』ではなく『華厳経』の「十地品」の第二地・離垢(りく)地の文(『大正蔵』9・549・a)である。離垢地で説かれる内容は「戒」であり、その「戒」の内容はやはり十善道であって、親鸞が引用したこの一文はその十善道のなかの「邪見」を離れることについての経文なのである。そうすると、『月蔵経』の初めの引文と、『月蔵経』の直後の引文が、「邪見を離れること」で呼応していることになる。それは『月蔵経』の引用全体が「邪見を離れること」で貫かれているということを意味し、ここにいよいよ親鸞が「邪見」を問題にしていたということがはっきりすると言えよう。

 「諸悪鬼神得敬信品」第八の上は、邪見を遠離することにより十種の功徳が獲られるという。その十種の功徳のなかで、文脈上、特に注目すべきは次の二つだと考えられる。


三つには、三宝を帰敬(ききょう)して天神を信ぜず。四つには、正見(しょうけん)を得て、歳次日月(さいじにちがつ)の吉凶を択(えら)ばず。(『真宗聖典』372頁


 この文と初めの『涅槃経』とを併せて考えるならば、「仏に帰依するということは<邪見>を離れることであり、それが結果として諸天神に帰依しなくなるのだ」と親鸞は述べようとしていると考えられるであろう。



■ 「諸悪鬼神得敬信品」第八の下① ~難を知ること~

 以上で見てきた「邪見」を離れるという課題が、次の「諸悪鬼神得敬信品」第八の下に展開することになる。


仏の出世、はなはだ難(かた)し。  法僧もまた難し。 衆生の浄信(じょうしん)難し。  諸難を離るること、また難し。 衆生を哀愍(あいみん)すること難し。  知足、第一に難し。 正法を聞くことを得ること難し。  よく修(しゅ)すること、第一に難し。 難を知ることを得て、平等なれば、  世において常に楽を受く。

『真宗聖典』373頁


仏・法・僧の三宝に遇うこと、信心を得ることなどについて、これを「難」の一字で押さえる文を親鸞は引用する。ここで我々は、親鸞が本願他力の教えを繰り返し「難信の法」と確かめていたことを考えるべきである。その一例として次の「正信偈」の一節が挙げられよう。


弥陀仏の本願念仏は、邪見憍慢(きょうまん)の悪衆生、 信楽(しんぎょう)受持すること、はなはだもって難し。 難の中の難、これに過ぎたるはなし。

『真宗聖典』205頁


 これは『大無量寿経』の流通分(るづうぶん)の経文に基づく文である。親鸞は、この「難信」という教えを受ける対象を「邪見憍慢の悪衆生」と記している。それは親鸞自身が、「難信」という教えを通して、自己が邪見憍慢の身であったと自覚したことを意味する。する。

 迷いの身である凡夫は、その根底に邪見を抱えている。しかしそれゆえに、その事実に気づかないのである。そして教えに出遇ったとき、自分は教えを正しく信じていると認識することになる。それは、私が信じた教えという教えの私有化へと繫(つな)がるものである。念仏の教えが、「他力の教え」であり「難信の教え」であると説かれるのは、そのような教えの私有化を破ろうとするものなのである。私が信じたという思いを、その教えは「難信の法」だと示すことによって、その私の思いが教えの私有化に他ならなかったと反省させるのである。このとき、その反省の思いと共に自覚するものこそ「邪見憍慢の身」としての自己なのである。

 『月蔵経』引用の初めに「邪見を離れること」を説きつつ、次いでこの「難」と繰り返す経文を引用するのは、「邪見を離れる」とはこの「難」の事実を知ることだというのである。そして「難を知ることを得て、平等なれば、世において常に楽を受く。」と、「難」を知ること―それは同時に一切衆生に対して平等な仏陀の公の心を知ることでもある―によって、仏法の楽を受けることになると示すのである。



■ 「諸悪鬼神得敬信品」第八の下② ~悪鬼神の因縁~

 しかし、問題はこの後に「乃至(ないし)」を挟んで引用された経文である。引用では、


かの悪鬼神(あくきじん)は、昔仏法において決定の信を作(な)せりしかども、彼、後の時において、悪知識(あくちしき)に近づきて心に他の過(とが)を見る。この因縁をもって、悪鬼神に生まる、と。略出

『真宗聖典』373頁


ここで「悪鬼神」が登場するが、それは昔、確かに仏法に対する決定の信をもった者だという。しかし彼は、やがて悪知識に近づくようになり、そして他人の過失を見るようになるのである。そこにあるのは、自分は正しく他者は間違っているという思いである。

 先の文では「難を知りて平等なれば」と説かれていた。自己を含め一切の衆生が仏法を私有化できない「難」なる存在として平等である、という地平がそこにはあった。しかし、それがやがて内省の眼を曇らし、そして自分は正しく信心をもっており、他者は間違っていると独善的に裁いていくことになる。そこに悪鬼神に生まれてくるのだと経典は語るのである。その根にあるものこそ「邪見」であると言い得るのではないだろうか。

  親鸞は、このような悪鬼神の生まれてくる世界を超えるために、邪見を離れることを説く経文を『月蔵経』引用の初めに置き、公なる仏の平等の慈悲の世界に目覚めることを勧めている。このように考えることができるのではないだろうか。

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Vol.04「仏に帰依するということ ―『日蔵経』試論 ―」

研究会報告

親鸞仏教センター研究員

藤原 智

(FUJIWARA Satoru)

 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んでいる。「化身土巻・末巻」は末法という時代を通して親鸞が見いだした人間の問題(異執)が描き出されている。今回は、前回に見た総論としての『涅槃(ねはん)経』からどのような展開となっていくのか、『日蔵(にちぞう)経』に注目したい。

■ 『日蔵経』引用の眼目

 「化身土巻・末巻」は、初めに総論として『涅槃経』『般舟三昧(はんじゅさんまい)経』の教言を示し、それに続けて『大乗大方等(だいほうどう)日蔵経』『大方等大集月蔵(だいじゅうがつぞう)経』…と引用が続いていく。今回は、まずこの『日蔵経』からの三つの引用文を考察していく。

 『日蔵経』は「魔王波旬星宿品(まおうはじゅんしょうしゅうほん)」「念仏三昧品」「護塔品」の三つの文が引用される。これらの引用は一連の展開をもつものであると考えるべきであろう。そうであれば『日蔵経』の引用は、おおよそ最後の「護塔品」がその結論と推測される。その「護塔品」で説かれていることは、魔王波旬が仏法に帰依するということである。このことは「現世利益和讃」においても、

 

南無阿弥陀仏をとなうれば 他化天(たけてん)の大魔王

 釈迦牟尼仏のみまえにて まもらんとこそちかいしか

『真宗聖典』488頁、東本願寺出版部)

 

と詠(うた)われているように、親鸞が非常に注目していることである。このことから、先の「魔王波旬星宿品」「念仏三昧品」は魔王波旬が仏に帰依するに至るそのプロセスが示されていると考えられよう。親鸞が『日蔵経』の引用で問題としていることは、仏に帰依するということはどういうことなのか、ということなのである。

 仏に帰依するというときには、「魔」ということが必然的に問題となってくる。親鸞が真実教と仰いだ『大無量寿経』の序分においては、菩薩が覚(さと)りを得ることについて、

 

大光明(こうみょう)を奮(ふる)って、魔をしてこれを知らしむ。魔、官属(かんぞく)を率(ひき)いて、来りて逼(せ)め試みる。制するに智力(ちりき)をもってして、みな降伏(ごうぶく)せしむ。微妙(みみょう)の法を得て最正覚(さいしょうがく)を成る。…中略…常に法音をもって、もろもろの世間に覚(さと)らしむ。光明、普(あまね)く無量仏土・一切世界を照らし六種に震動(しんどう)す。すべて魔界を摂(せっ)して、魔の宮殿(くでん)を動ず。衆魔、慴怖(じっぷ)して帰伏せざるはなし。

『真宗聖典』3~4頁

 

と説かれ、自利と利他の両面において魔が伏することが語られる。仏の教えが真の意味で菩提(ぼだい)の言葉であると言いえるのは、それを聞く者をして降魔の事実を感得せしめるからに他ならない。その仏に帰依する内実としての降魔を、親鸞は『日蔵経』に求めたのである。


■ 「魔王波旬星宿品」の引用について

 では「魔王波旬星宿品」の引用から見てみよう。そこで説かれている内容の大部分は、佉盧虱吒(かるしった)仙人が衆生の安穏のためにさまざまな星宿や四天王などを安置したというものである。ただ、その引用の最後に次の一文がある。


その時に諸龍(しょりゅう)、佉羅坻山(からていせん)聖人の住処にありて、光味(こうみ)仙人を尊重し恭敬(くぎょう)せん、それ龍力(りゅうりき)を尽(つ)くしてこれを供養(くよう)せん、と。已上抄出

『真宗聖典』370頁


ここに光味仙人という人物が突然登場する。この光味仙人とは何者なのか。

 実は『日蔵経』原文においては、『教行信証』に引用された「魔王波旬星宿品」の大部分をなす佉盧虱吒仙人の話は、すべてこの光味仙人が諸龍に語っていたものである。引用文の「その時」とは、光味仙人が佉盧虱吒仙人について話し終えた「時」なのである。つまり「魔王波旬星宿品」引用の内容は、端的に言うと「光味仙人が諸龍に対して『佉盧虱吒仙人が星宿の法について語ったこと』を説き、そして諸龍は光味仙人は尊敬され供養するのだ」ということになる。

 この点について金子大榮は、『大集経』「宝幢(ほうどう)分」には光味仙人の星宿説に対して仏陀がこれを非法としていることを示し、


されば経中に現はるゝ占星術の如きは、これ仏説に混入せる天仙説であつて、「信用に足らざるもの」であらねばならぬ。

(『教行信証講読―真化巻』・『金子大榮著作集第八巻』364頁)


と述べる。金子の論じるように、仏陀は光味仙人の星宿説を批判しているのであり、「魔王波旬星宿品」の引用は人々がそのような外道に捉(とら)われている姿を描いたものとして理解できよう。それは、仏陀の教えに出遇わなければ天仙の説に惑わされる他なきことを示すものではないだろうか。


■ 「念仏三昧品」の引用について

 以上の事柄が次の「念仏三昧品」とどのように繫(つな)がるのか。実はこの光味仙人が「念仏三昧品」に改めて登場する。「念仏三昧品」の引用では、


この時に光味菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)、仏の説法を聞きて、一切衆生ことごとく攀縁(へんえん)を離れ、四梵行(しぼんぎょう)を得しむ、と。

『真宗聖典』371頁


と、ここで光味仙人は、仏の説法を聞く光味菩薩とへと変化して登場するのである。「魔王波旬星宿品」引用の眼目を光味仙人に見いだすならば、次の「念仏三昧品」に登場するこの光味菩薩との関係を考えざるをえないだろう。そして、この「光味」という人物の「仙人」から「菩薩」への変化が、実は重大な意味をもつものであると考えられるのではないか。それは外道から仏道への帰入である。そうであれば、光味仙人から光味菩薩への変化の間に何があるのかを見なければならない。そして、その間に説かれている事柄こそ、魔王波旬の懊悩(おうのう)である。

 「念仏三昧品」の冒頭は次のように説かれている。


その時に波旬、この偈(げ)を説き已(おわ)るに、かの衆(しゅう)の中に一(ひとり)の魔女(まにょ)あり、名づけて離暗(りあん)とす。この魔女は、むかし過去において、もろもろの徳本を植えたりき。この説を作(な)して言わまく、「沙門瞿曇(しゃもんくどん)は名づけて福徳と称す。もし衆生(しゅじょう)ありて、仏名を聞くことを得て、一心に帰依(きえ)せん。一切の諸魔、かの衆生において悪を加うることあたわず。

『真宗聖典』370頁


ここで魔王波旬の娘の離闇が仏名を聞いて信心を起こすことが説かれている。当然、親鸞には『大無量寿経』の本願成就文が思われていただろう。そして魔女離闇のこの言葉を受けて、さらに五百の魔女・姉妹・眷属がみな菩提の心を発(おこ)していく。そして、


その時に魔王、この偈を聞き已りて、大きに瞋恚(しんに)・怖畏(ふい)を倍(ま)して、心を煎(こが)し、憔悴(しょうすい)・憂愁(うしゅう)して、独り宮の内に坐(ざ)す。

『真宗聖典』371頁


と、魔王は自分の部下たちが次々と菩提心を発していくのを目の当たりにして非常に恐怖したというのである。そして「この時」に光味仙人は仏の説法を聞く光味菩薩となるのである。このように見てくると、魔王波旬と光味菩薩は無関係ではない。言わば、求道者の内面にある外道への志向性を魔波旬のはたらきと理解してよいのではないか。

 『日蔵経』に戻ると、魔王が他力の信心に触れ恐怖し懊悩(おうのう)することによって、外道の法を説いていた光味仙人は仏の説法を聞く光味菩薩へと変化した。このように親鸞は「魔王波旬星宿品」から「念仏三昧品」への展開を通して、確かめようとしているのではないだろうか。そして仏の説法を聞くことにより、魔王波旬は最後の「護塔品」において仏に帰依することを宣言するのである。こうして魔王の影響下で外道に住していた者が、念仏の信心に触れて仏に帰依していくというプロセスが描き出されるのである。

 仏に帰依するとは、自己の内面の魔が降伏する事実に触れ、外道を離れることに他ならないのだ。このことを親鸞は『日蔵経』の引用を通して確かめたと言えるのではなかろうか。

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Vol.03「「化身土巻・末巻」の課題とは何か」

研究会報告

親鸞仏教センター研究員

藤原 智

(FUJIWARA Satoru)

 親鸞仏教センターでは、現代社会と親鸞思想の接点を探るという目的のもと、親鸞の主著である『教行信証』「化身土巻・末巻」の研究に取り組んでいる。「化身土巻・末巻」は末法という時代を通して親鸞が見いだした人間の問題(異執)が描き出されている。今回からその「化身土巻・末巻」の本文を追いながら、問題となる点について研究会での議論を踏まえて報告していきたい。

■ 総論としての『涅槃経』

「化身土巻・末巻」の本文は次の記述に始まる。

 

それ、もろもろの修多羅(しゅたら)に拠(よ)って真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、『涅槃経』に言(のたま)わく、仏に帰依せば、終(つい)にまたその余の諸天神に帰依せざれ、と。略出

『真宗聖典』368頁、東本願寺出版部

 

 「修多羅」とは、仏陀が直接お説きになった経典を指す。ここで親鸞は、仏陀の直接のお言葉を根拠としながら何が真実であり何が虚偽であるのかをはっきりさせて、それにより虚偽なるものに執着していく人間の問題性を教示し、誡(いまし)めようというのである。そして『涅槃経』を皮切りに、十二もの経典が引用されていくのである。特に、初めの『涅槃経』の文は親鸞の自釈に直接続けて記述されており、真偽を勘決し異執を教誡する修多羅とは、取りも直さず『涅槃経』のこの言葉なのだという親鸞の強い意識があるのだと考えられる。そしてこの『涅槃経』を総論として、「化身土巻・末巻」の論述は展開していくことになる。

 親鸞は「教誡」ということを課題に論述を進めるのであるが、ここで「修多羅に拠って」と記していることに注意しなければならない。親鸞は決して自分の考えで批判するのではなく、あくまで仏説に確かめるというのである。しかも、この経言の引用も親鸞の恣意(しい)ではない。「化身土巻・末巻」の後半には、天台宗の祖・智顗の『法界次第』から次の言葉を引いている。

 

天台の『法界次第』に云わく、一つには仏に帰依す。『経』に云わく、「仏に帰依せん者、終に更(かえ)ってその余のもろもろの外天神に帰依せざれ」となり。また云わく、「仏に帰依せん者、終に悪趣に堕せず」と云えり。二つには法に帰依す。謂わく、「大聖の所説、もしは教もしは理、帰依し修習(しゅじゅう)せよ」となり。三つには僧に帰依す。謂わく、「心、家を出でたる三乗正行の伴(とも)に帰するがゆえに。」『経』に云わく、「永く、また更って、その余のもろもろの外道に帰依せざるなり」と。已上

『真宗聖典』397頁

 

このように、智顗が三帰依について説くなかで帰依仏の証文とした経文こそ、親鸞が「化身土巻・末巻」の総論として掲げた『涅槃経』の経文である。この文は、仏に帰依するならばその他の神に帰依してはならないという、簡潔な文である。つまり、仏に帰依すると言いながら、他のものにも帰依していくその心根を「邪偽の異執」として親鸞は指摘せんとするのである。

親鸞が「化身土巻・末巻」を記したとき、念頭にあったのは何であっただろうか。「化身土巻」に「我が元仁元年」(『真宗聖典』360頁)とある記述に関連して、早く宮崎円遵が指摘していることが、この「元仁元年」に比叡山から専修念仏停止の要請が提出されていることである。そこで主張されていることの一つとして、次の事柄がある。

 

一 一向専修の党類、神明に向背する不当の事

(『一向専修停止事』・『親鸞聖人行実』95頁)

 

つまり、専修念仏の者は神を敬わないということを比叡山の僧侶は問題視しているのである。しかし、親鸞にしてみればそれこそ仏教に反する事柄に他ならなかった。「愚禿悲歎述懐」として、

 

かなしきかなやこのごろの  和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして   天地の鬼神を尊敬(そんきょう)す

『真宗聖典』509頁

 

などの和讃を作っているように、天の神に帰依するということがあってはならないことだと親鸞に強く意識されている。信仰において独立者として無碍(むげ)の一道を歩んでいくのが、仏道というものではなかったか。それをごまかし、いつわりへつらいの姿をしているのは誰であるのか。釈尊はすでにして「余の諸天神に帰依せざれ」と教え、その教言を大事にしていたのは他でもない、比叡山天台宗の開祖たる天台大師智顗ではなかったか。このような思いを念頭に、親鸞は「化身土巻・末巻」の論述を展開させていったのではなかろうか。

 

■ 『般舟三昧経』の引用について

 「化身土巻・末巻」は『涅槃経』に続けて『般舟三昧経』「四輩品」からの引用が続けられる。親鸞直筆の坂東本『教行信証』を見ると、この『般舟三昧経』の引用をもって改行がされてある。恐らく親鸞はこの改行を一つの区切りとしたのではないかと考えられる。つまり、まず『涅槃経』を引用し、それを助顕するものとして続けて『般舟三昧経』を引用して、これらをもって「化身土巻・末巻」の総論としたのである。

 

『般舟三昧経』に言わく、優婆夷(うばい)、この三昧を聞きて学ばんと欲(おも)わば、乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事(つか)うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、と。已上 また言わく、優婆夷、三昧を学ばんと欲わば、乃至 天を拝し神を祠祀(しし)することを得ざれ、と。略出

『真宗聖典』368頁

 

内容は先の『涅槃経』とも大差ないように見えるが、いくつかの相違点も指摘できよう。まず、『涅槃経』における帰依仏が、『法界次第』と同様に三帰依として確かめられること。次に、「余の諸天神に帰依せざれ」が、『般舟三昧経』では「余道・天・鬼神・吉良日」とより具体的に説かれること。そして途中に「乃至」として引用しない箇所があるということ。その省略されている箇所は「五戒を持つ」ということが中心である。ここに親鸞のはっきりした主張があるように思われる。仏弟子であるとは、戒を持つことが問題なのではない、天を拝むか否かにあるのだというのである。

 以上の点が明らかに指摘できるのであるが、さらに研究会のなかで問題となった点を報告したい。それはここで「優婆夷」と呼びかける対象を明確にしていることである。優婆夷とは在家の女性信者を指す言葉である。ここに引用された『般舟三昧経』は「四輩品」という箇所で、比丘(出家の男)・比丘尼(出家の女)・優婆塞(在家の男)・優婆夷(在家の女)の四人に対して順番に教えが説かれていく。その最後の優婆夷に対する箇所が引用されているのである。なぜ、親鸞はこの「優婆夷」という釈尊の呼びかけの言葉をあえて残したのか。つまり「男女・老少を謂(い)わず」(『真宗聖典』236頁)という親鸞ならば、「『般舟三昧経』に言わく、この三昧を聞きて学ばんと欲わば…」と引用すればよかったのではないか、ということである。

 そこで出た意見としては、『観経』の韋提希と関連して、実業の凡夫という自覚から神を拝む必要のなきことを示そうとした。もしくはこの仏陀の言葉が比叡山の僧侶に向けられていると仮定して、女人結界に代表される神を建前とした女性蔑視観からの克服、などが挙がったが結論には行き着かなかった。

 本報告から、様々な意見が生まれることを期待したい。

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藤原 智

(FUJIWARA Satoru)

 2013年12月24日、東京国際フォーラム(有楽町)において、大阪大学教授である平雅行氏をお招きし、「顕密体制と専修念仏」というテーマで、『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会を開催した。「末巻」は、初めに「余の諸天神に帰依せざれ」という文が掲げられるが、親鸞がこの文を掲げたときに見据えていたものは何であったのか。そのことを考えるため、親鸞がいかなる社会に身を置いていたのかについてお話いただいた。ここにその研究会の一部を紹介する。

■ 中世的な宗教秩序の形成(1)

 大きな歴史の大転換が十世紀の初頭に起こります。それは律令体制の崩壊です。そこで朝廷の仏教政策や宗教政策も大きく変化していかざるをえなくなる。そういうなかで、奈良や白鳳時代以来のお寺がいっぱい消えていくわけです。

 しかし、この時代の転換期を見事に乗り切っていくお寺もあるわけです。その代表が興福寺や延暦寺ですが、そこで一つ大事だと思うのは民衆化です。その象徴的な事例が、強訴(ごうそ)であると思います。民衆の不満というものを延暦寺や興福寺の悪僧と言われる人達が組織をしていった。これが、彼らが中世的な仏教に生まれ変わっていくときの非常に大きな原動力となったということです。それは同時に教義の民衆化が行われているということでもあります。そこでは念仏による往生、あるいは専修念仏すら勧めているわけです。顕密仏教の世界では、悪人往生とか悪人成仏はある意味では常識であった。その教理的な背景として善導の本願念仏説が、顕密仏教の世界では広く取り入れられている。

 またこの時期、顕密仏教は国家との関係を再構築することに成功します。例えば末法思想。末法思想を顕密仏教の坊さんが意図的に流布させる。「現状のまま放置をしていたならば日本は破滅してしまう。だから仏法興隆が必要だ。そのためにお寺に荘園をください。そうすれば末法を克服できますよ」という格好の理屈でもって、荘園寄進を要請していくわけです。朝廷はそういう要請に応え、この時期に寺社勢力は急速に荘園というものを獲得し、寺院経済を安定させることに成功する。そして中世王権自体が仏法興隆というものを主導していく。院政時代に顕密仏教は最盛期を迎えるということです。

■ 中世的な宗教秩序の形成(2)

 そして、この時期に神仏習合が一般化していく。日本の中世にあっては、基本的に地域や国の平和と繁栄は誰が担うかというと、やはり神さまが担うというふうに考えられている。その神社の祭祀に仏事が入ってくるということが普通になってくる。例えば、読経をすれば豊作となって日本は平和となり、みんな豊かで仲の良い世界がやってくる。こうして日本の中世の顕密仏教は、鎮護国家と五穀豊穣の祈りを捧げるわけです。これは言い換えれば、平和と繁栄を祈りの力で実現するということです。平和と繁栄は政治が担うべき最も重要な役割であると思いますが、その部分を顕密仏教がちゃんと実現するというふうに民衆に約束をした。

 親鸞は「かなしきかなや道俗の 良時吉日(きちにち)えらばしめ 天神地祇(てんじん じぎ)をあがめつつ卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす」(『真宗聖典』509頁、東本願寺出版部)と詠(うた)われ、あるいは『教行信証』「化身土巻」でも「余の天神に帰依するな」とおっしゃってはいます。しかし、こういう道俗のありさまを「悲しいかな」というふうに親鸞自身が言わざるをえないほど、中世の民衆はこういうシステムのなかに完全に組み込まれている。組み込まれるかたちでもって中世の支配秩序というものが構築されていたというふうに思うわけです。

 ただ、この時代は神仏習合が展開してきて、すべての神さまが仏の権化なんだと、いわゆる仏教化されているわけです。仏教化された神さまを批判するということが、この論理でもってどこまで有効なのかっていうのは、やはりもう一度よく考えてみないといけない問題だろうと思います。そこのところは、だから非常に批判は難しい。非常に難しい段階に入っていると思います。そう簡単に神祇信仰を批判できるような、顕密仏教の側も相当懐が深くて、そんなやわな批判で壊れるようなかたちにはなっていないと思うわけです。

■ 専修念仏の登場

 そういうなかで専修念仏が登場してくる。その一番の原因は、やはり源平内乱です。源平内乱の何が衝撃的だったかというと、この時期は顕密仏教の最盛期だったということです。日本の平和を実現するために、たくさんの坊さんたちが祈りを捧げるわけでありますが、実際には彼らの祈りは効かなくて、そして日本中が内乱に巻き込まれる。仏法が戦争を封じ込めるのではなくて、戦争が仏法を打ち破ったわけです。

 今までのあり方が根本的に何か間違っていたわけです。その深刻な問いをみんな必死になって考えるなかで、大体二つの潮流が新たに登場してくる。穏健派の考え方は、坊さんのあり方に問題があった。鎌倉時代の仏教改革運動の主流派はこちらです。それに対して急進派の人々は、やはり仏法のありさまそのものに問題があった。末代相応の教えが必要ではないかということで、新しい仏教の教えを探求していくということになる。それが専修念仏であり、日蓮たちであろうと思うわけです。

 その法然や親鸞の専修念仏の考え方の一番のポイントは、すべての人間は愚者、凡夫、そして悪人と、こういうふうに機根が平等だというところにある。顕密仏教の世界においては、南無阿弥陀仏のようなものがなぜ存在するかというと、レベルの低い人間がいるからだとされる。顕密仏教の世界では民衆は馬鹿だというふうに見ていたわけですが、この彼らのなかに本当の人間の姿を見て取ることができたところに、法然や親鸞の思想の一番の偉大さの根源がある。

■ 『興福寺奏状』の脱文

 最後に、実は『興福寺奏状』には文章が抜けていることが指摘されたということをお話ししたいと思います。『興福寺奏状』のなかで、「誠惶誠恐謹言」とその次の「副進」という文章との間に、本来であるならば数行分の文章がないといけない。その文章が抜け落ちている。法然伝を見ますと、興福寺が元久二年九月に朝廷に奏状を提出したという文章が登場してくる。今まで私たちはこの文章をほとんど無視してきたわけですが、実は前半部分の日付は元久二年九月だったのではないかということになってくるわけです。前半部分と後半部分が分かれている。『興福寺奏状』を扱うときには慎重な扱いが必要で、少なくとも「副進」の前と後ろはぜんぜん違う人間が執筆をしているということを頭のなかにおいて、この資料を読まないといけないということになるだろうと思います。

(文責:親鸞仏教センター)

※平雅行氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第29号(2014年12月1日号)に論文として掲載しています。

講師:平 雅行(たいら まさゆき)

講師:平 雅行(たいら まさゆき)

 1951年大阪市生まれ。1981年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。文学博士。京都橘女子大学、関西大学、大阪大学助教授、同大学文学部教授を経て、1999年4月より大阪大学大学院文学研究科教授。専門は日本中世史・古代中世仏教史。

 著書に、『日本中世の社会と仏教』(1992年・塙書房)、『異文化の交流』(1993年・大阪大学)、『親鸞とその時代』(2001年・法蔵館)、『歴史のなかに見る親鸞』(2011年・法蔵館)など。

 共編著に『歴史の中の和泉 古代から近世へ─日根野と泉佐野の歴史〈1〉』(1995年・和泉書院)、『荘園に生きる人々─日根野と泉佐野の歴史〈2〉』(1995年・和泉書院)、『周縁文化と身分制』(2005年・思文閣出版)など。

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Vol.01「教誡(きょうかい)」という言葉のもつ課題

研究会報告

親鸞仏教センター研究員

藤原 智

(FUJIWARA Satoru)

 親鸞仏教センターでは2013年6月より新たに『教行信証』「化身土巻・末巻」研究会を発足した。

 『教行信証』「化身土巻・末巻」は浄土教文献の引用もほとんどなく、『教行信証』全体のなかで特異な文脈であると感じられる。そのためか、これまでの『教行信証』研究の歴史でも、この「末巻」に焦点が当てられたものは少ない。本研究会では、「末巻」冒頭での「教誡」という言葉を軸に、「末巻」のもつ意義を確かめていく試みをしている。

 第一回・第二回の研究会では、まずこの言葉のもつ意味が確認された。今回はその報告である。

■ 『大無量寿経』における「教誡」

 『教行信証』には「化身土巻」の三願転入と呼ばれる文の後に、「教誡」という言葉が二度使われる。その一つが「末巻」冒頭であり、そこで次のように述べられる。

それ、もろもろの修多羅(しゅたら)に拠(よ)って真偽(しんぎ)を勘決(かんけつ)して、外教邪偽(げきょうじゃぎ)の異執(いしゅう)を教誡(きょうかい)せば、

『真宗聖典』368頁、東本願寺出版部

 この「教誡」という言葉は、元々『大無量寿経』のいわゆる三毒五悪段の三毒段の終わりと、五悪段の終わりに計二度出てくる言葉である。親鸞は『大無量寿経』を真実教と選び取ったのであるから、「化身土巻」の「教誡」という言葉もこの『大無量寿経』で説かれる「教誡」に基づくものと言えよう。

 『大無量寿経』は、始めに法蔵菩薩の発願と修行、その成就としての阿弥陀仏の浄土の荘厳が説かれる。そして、その浄土の三種荘厳が説かれた後に、三毒五悪段が展開する。そこでは対告衆が凡夫阿難から菩薩弥勒に変わり、そして穢土の衆生の姿が貪・瞋・痴の三毒や、五悪として語り出されるのである。その三毒段と五悪段のそれぞれの終わりに「教誡」の語は語られる。まず前者を見てみよう。

 釈尊は弥勒菩薩に衆生の三毒を語った最後に、

 

それ心を至して安楽国(あんらくこく)に生まれんと願ずることある者は智慧(ちえ)明達(みょうだつ)し功徳(くどく)殊勝(しゅしょう)なることを得べし。

『真宗聖典』63頁

と、至心をもって浄土を願生すべきことを説く。つまり、この「至心願生安楽国」にこそ、衆生の三毒五悪を超える智慧の獲得があることを説くのである。この仏語に対して、弥勒菩薩は、

仏語(ぶつご)の教誡(きょうかい)、甚(はなは)だ深く甚(はなは)だ善し。

『真宗聖典』63頁

と応える。世間の三毒を通して「至心願生安楽国」と説く仏語を、「教誡」として弥勒は我が身に受け止めるのである。

 『大無量寿経』が「教誡」を語るもう一つの箇所を見てみよう。釈尊は三毒段の後に五悪段を展開するが、その終わりにおいて、「吾(われ)世を去りて後、経道(きょうどう)漸(ようや)く滅(めっ)し人民(にんみん)諂偽(てんぎ)ならん」と自己の滅後を予言し、弥勒に次のように言う。

仏(ぶつ)、弥勒(みろく)に語りたまわく、「汝等(なんだち)おのおの善くこれを思いて転(うた)た相(あい)教誡(きょうかい)す。仏(ぶつ)の経法(きょうぼう)のごとくして犯(おか)すこと得ることなかれ」と。

ここに弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)、掌(たなごころ)を合(あ)わせて白(もう)して言(もう)さく、「仏の所説甚(はなは)だ苦(ねんごろ)なり。世人(せにん)実(まこと)に爾(しか)なり。如来(にょらい)、普(あまね)く慈(あわれ)みて哀愍(あいみん)して、ことごとく度脱(どだつ)せしむ。仏の重誨(じゅうけ)を受けて敢(あえ)て違失(いしつ)せざれ」と。

『真宗聖典』78~79頁、改行筆者)

ここで釈尊が問題にしているのは、「吾世を去りて後」と言われる「五濁の世、無仏の時」である。その仏滅後における衆生の諂偽・衆悪について、釈尊は弥勒に「相教誡せよ」と説くのであり、弥勒は釈尊に対して「仏の重誨を受けて敢て違失せざれ」と仏の教えを守ることを誓うのである。釈尊は弥勒に世間のただなかにおいて「相教誡せよ」と説くが、それを果たす智慧は、先の三毒段に説かれ弥勒が「仏語の教誡」と受け止めた「至心願生安楽国」という信念にある。そして、この「教誡」という課題を託された弥勒は、続く智慧段で釈尊に胎生(たいしょう)・化生(けしょう)の問いを出すことになる。この問題は『教行信証』では三願転入として展開していく。

 以上のように語られる「教誡」という言葉を、親鸞は「化身土巻」で三願転入の後に語っていく。『大無量寿経』が説く釈尊滅後の衆生の諂偽なる世界とは、親鸞にはみずからが身を置いた時代社会を意味すると受け止められていたに違いない。親鸞は、時代社会とそこに生きる人間の悪を『大無量寿経』三毒五悪段に聞き、それを超克(ちょうこく)する教えを「教誡」に見いだした。これを明らかにするのが『教行信証』撰述の事情ではないだろうか。

■ 「教誡」を語りうる立脚地

 以上のように見てくると、『大無量寿経』の「教誡」は「至心願生安楽国」に集約される。その「至心願生安楽国」という信念の獲得こそ、『大無量寿経』の宗致である本願の成就である。そして、その本願成就の信心について述べたのが『教行信証』「信巻」、及び「化身土巻」である。

 「信巻」には本願成就の信心が生み出す人間像として真仏弟子釈という論述がある。この論述の初めに、先に挙げた『大無量寿経』の「至心願生安楽国」の言葉が引用されている(『真宗聖典』245頁参照)。つまり、この釈尊の「教誡」を聞く者が、真仏弟子とされているのである。そうであれば、弥勒に託された「教誡」という課題を語りうるのは、本願成就に獲得される「願生浄土」の志願だけだと言えよう。
 親鸞は真仏弟子釈で、信心の人は弥勒と同じと言う。『大無量寿経』の教えによって弥勒と同じ地位を賜るということは、それに止まらず『大無量寿経』で釈尊が弥勒菩薩に託した「相教誡せよ」という使命に、『大無量寿経』の教恩を受けた者として報(こた)え、その責任を担うということがあるのではないか。ここに親鸞が「化身土巻」で「教誡」を語っていく意味があるように思われる。このような視点をもって本研究会を進めていきたい。

(文責:親鸞仏教センター)

※本報告の詳細については『現代と親鸞』第27号(2013年12月1日号)に論文として掲載しています。

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