

親鸞仏教センター所長
本多 弘之
(HONDA Hiroyuki)
「親鸞」という名の背景に天親・曇鸞の学びがあるのだが、33歳までにはそれがなかったのではないか、という考えがある。そもそも、宗祖親鸞の比叡の山での学びについて、研鑽の証拠がないと考えられているからである。しかし、『高僧和讃』(「法然讃」)に「善導源信すすむとも 本師源空いまさずは 片州濁世(へんしゅうじょくせ)のともがらは いかでか真宗をさとらまし」(『真宗聖典』498頁)ということがある。この和讃の語る実感とは、親鸞にとっての回心を引き出した源空への感謝の表明であるとともに、比叡の山での浄土教の学びが如何に熾烈であったか、それでも本願への帰依を獲得できなかったという事実を示唆していると言うべきではなかろうか。そして、「信心同一でないのなら、法然が参るべき浄土へは、往けないぞ」とまで言われた師法然の言葉を、『歎異抄』(『真宗聖典』639頁参照)には記録されている。この問題が「方便化身土」の問題として、考察されていったと考えられることであるが、その化身土の名「懈慢界(けまんがい)」を源信の『往生要集』からいただいたのだ、と「化身土巻」(『教行信証』、『真宗聖典』330頁参照)に記している。こういう気づきができるということは、若き時代に善導・源信を始めとする浄土の教学を徹底的に追求していたからであったに相違ない。
さらにいうなら、「行巻」(『教行信証』)に引かれる慈雲の言葉や法照の文、あるいは新羅の憬興(きょうごう)などの経典解釈の文などは、比叡のころの研鑽からきているに違いない。源空門下になってから、専修念仏ではない立場の解釈を研究するなどということは考えられないのではないか。
さすれば善導・源信がしばしば引用する『浄土論』や『論註』も、若き親鸞は精読していたと考えても良いのではないか。ともあれ、信心同一の根拠を「本願成就」という原理と、『浄土論』に表された本願力回向によるということとを、夢の告げを受けるような激しい推求を通して、考え尽くしていったのだといただけるのではないであろうか。「回向を首として大悲心を成就するがゆえに」という言葉に、「大悲心」への深い感動を感ずるとともに、そのことをなかなか肯(うなづ)けなかった自分の自力の執心の根深さに、いよいよ慚愧(ざんき)の念を自覚していったのであろう。それが「弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』、『真宗聖典』640頁)というつぶやきとなったのではなかろうか。
(2009年5月1日)
最近の投稿を読む

テーマ別アーカイブ
- 第85回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」①
- 第86回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」②
- 第87回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」
- 第88回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」④
- 第89回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑤
- 第90回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑥
- 第91回「〈願に生きる〉ことと〈場〉の問題」⑦
- 第92回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑧
- 第93回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑨
- 第94回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑩
- 第95回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑪
- 第96回「〈願に生きる〉ことと〈場所〉の問題」⑫
- 第97回「〈願に生きる〉ことと〈時間〉」①
- 第98回「〈願に生きる〉ことと〈時間〉②」
- 第99回「〈願に生きる〉ことと〈時間〉③
- 第137回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」①
- 第138回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」②
- 第139回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」③
- 第140回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」④
- 第141回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑤
- 第142回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑥
- 第143回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑦
- 第144回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑧
- 第145回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑨
- 第146回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑩
- 第147回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑪
- 第148回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑫
- 第149回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑬
- 第150回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑭
- 第151回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑮
- 第152回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑯
- 第153回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑰
- 第154回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑱
- 第155回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑲
- 第156回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑳
- 第157回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」①
- 第158回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」②
- 第159回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」③
- 第160回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」④
- 第161回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑤
- 第162回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑥
- 第163回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑦
- 第164回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑧
- 第165回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑨
- 第166回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑩
- 第167回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑪
- 第168回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑫
- 第169回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑬
- 第170回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―⑭」
- 第171回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑮
- 第172回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑯
- 第173回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑰
- 第174回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑱
- 第175回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑲
- 第176回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」⑳
- 第177回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」㉑
- 第178回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」㉒
- 第179回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―」㉓
- 第180回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」①
- 第181回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」②
- 第182回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」③
- 第183回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」④
- 第184回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑤
- 第185回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑥
- 第186回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑦
- 第187回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑧
- 第188回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ――横超の大誓願」⑨
- 第189回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑩
- 第190回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑪
- 第191回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑫
- 第192回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑬
- 第193回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑭
- 第194回「親鸞教学の現代的課題Ⅴ―横超の大誓願―」⑮
- 第195回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―有為の善悪と無為の涅槃―①」
- 第196回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―有為の善悪と無為の涅槃―②」
- 第197回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―仏果からのはたらきかけ―」
- 第198回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―①」
- 第199回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―②」
- 第200回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―③」
- 第201回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―④」
- 第202回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―⑤」
- 第203回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―⑥」
- 第204回「意欲の異質性を自覚せよ、と。―願のままに成就しているとは―⑦」
- 第230回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」①
- 第231回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」②
- 第232回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」③
- 第233回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」④
- 第234回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑤
- 第235回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑥
- 第236回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑦
- 第237回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑧
- 第238回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑨
- 第239回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑩
- 第240回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑪
- 第241回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑫
- 第242回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑬
- 第243回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑭