親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第225回「「一休フェス〜keep on 風狂〜」顛末記」

飯島研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 京都市中を南に数十キロほど下った地域は、古くから南山城と呼ばれてきた。京都・大阪・奈良をまたぐことから、昨今は「けいはんな」とも称され、学園都市も形成されている。ベッドタウンとなっているが、やはり緑豊かな山郷という様相もみせている。

 この地域に位置する京都府京田辺市には、酬恩庵一休寺がある。一休寺は、その前身を妙勝寺という。鎌倉時代末期に元弘の乱で荒廃していたところを、室町時代に一休宗純(1394 – 1481)に寄進されて修復されたものと伝わるのが、いまの開山堂である。そしてここに祀られているのが、大応国師(南浦紹明、1235 – 1309)の木像である。この大応国師あってこそ、日本臨済宗は鎌倉時代から近現代にまで受け継がれてきたといえる。しかも、この酬恩庵のように、鎌倉時代から遺されている寺院自体、京都では貴重なものとなる。というのも、京都市中は応仁の乱を期に灰燼に帰したわけであり、京都においては「先の戦争」――即ち応仁の乱――を乗り越えられた遺構が数少ないからである。

 

 開山堂は、檜皮葺きの屋根という伝統工法が取られている。だが、これは貴重でありながらも痛みがはやく、維持が非常に難しいものであった。開山堂が老朽化するなか、大応国師が未来に継承され、開山堂を令和に息づくような文化財とする試みが求められていた。そうして、棟梁の木下幹久氏の下、その屋根をチタンにより葺き替える修復プロジェクトが立ち上がった。このチタン葺きは、今では金閣寺(京都府京都市)や浅草寺(東京都台東区)でも採用されて定評がある。

 このプロジェクトを盛り立てるため、テレビアニメ『オトナの一休さん』(Eテレ)や『となりの一休さん』(春陽堂書店)で一休に取り組んでこられたイラストレーターの伊野孝行氏が腕をまくった。そうして、2021年11月に「一休フェス~keep on 風狂~」と銘打ち、一大イベントを立ち上げることとなった。「フェス」とは突拍子もない呼称ではあるが、こうしたタイトルを付してなぜか収まりがつく仏者も、一休以外にはそういないのではないか――そうした感想を、幾度か耳にしたものである。デザイナーの上浦智宏氏によるポスターも、まさに逸品というべきものとなった。画面の中で躍動している小僧は、もちろん伊野氏の描いた一休さんである。

 

***

 

 伊野氏は、一休を評して「こういうめんどくさい人がぼくは好きです」(『となりの一休さん』)とおっしゃる。確かに、この禅僧は矛盾的な行動を辞さず、相当に面倒くさい人格である。自らの境地を高らかに誇りながら、その一方で酒肆婬坊へ出入りするような破戒も表現する。山中(宗門)と市中(俗世)のあいだを行き来し、奇矯な言動や開けっぴろげなエロスも辞さない「風顛太妖怪」(酬恩庵一休寺蔵「一休像」賛文)と自称した。宗門を強烈に批判しながらも、その伝燈を担うことを自負し続けもする。その実相は、なかなかに掴み難い。伊野氏は、そうした一休の顔をガムテープで創ってみせた。「型破り」とはこのことであろう。

 さらに伊野氏は、「三乗十二分教、皆な是れ不浄を拭う故紙なり」(『臨済録』)にちなんだトイレットペーパーも創作された。

 あるいはまた、一休にちなんだとんち菓子「通無道」が誕生した。これは奈良の老舗菓子補御三家のひとつ・萬々堂通則とのコラボレーションであり、一休寺との連動は一層活発になっている。

***

 そうしたなか、11月14日にはトークイベント「語られ続ける一休」が催された。伊野氏に加えて、芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所顧問)と矢内一磨氏(さかい利晶の杜学芸員)、そして不肖飯島が登壇し、一休との出逢いや印象を語り合うものとなった。このなかで焦点が当たったのは、一休が伝統を残すということをいかに考えていたのかである。

 一休は、自らの頂相(禅僧の肖像画)に付した賛文で、己の無能を恥じつつも、エロスと酒に酔うような振舞いが大燈国師(宗峰妙超、1282 – 1337)以来続く日本臨済宗の伝燈を「滅却」すると述べている。ただ型を大事に護持するのではなく、「藞苴(らそ)」(泥臭いが規矩に縛られず破天荒であること)でこそ教えを徹底できると表すのである。それは、臨済義玄(? – 866)以来重視されていた「滅してこそ興す」という姿勢そのものであった。

 一休が繰り返すのは、「伝燈」(禅宗の法燈を伝えていくこと)への強烈な意識と「破戒」による形骸化の批判であったともいえる。つまり、伝統を担おうとする意識が強いあまり、現状におもねるようなものを認めず、むしろ自らが拠って立つ傍若無人なまでの活力を前面に押し出すのである。こうしたことで、一休はいわば伝統の再活性化を図ったともいえる。そういう再活性化は、同時代には煙たがられることもあろうが、「リフォーム」を企図するときにはそのように疎んじられることも少なくない。そうして、このような振る舞いに、「風狂」とみなされる所以があろう。

 

***

 

 令和の時代に、本当に遺していくべきものは何かを問い直し、各分野の職人が集うこのプロジェクトは、我々の心に大きな揺さぶりをかけるものであった。痛んだ遺構をただ漫然と維持するというのではなく、それをきっかけにしてまた新しい何かを生み出そうとすること――それこそ伝統の再活性化といえないだろうか。

 この12月、一休寺開山堂の修復プロジェクトの一環として計画されたクラウドファンディングも、1,000万円という目標額をものともせず、見事に達成された。未来へつながる伝統の再活性化は、まだ始まったばかりである。

(2022年1月1日)

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今との出会い 第214回「二十年前、即今に在り」

飯島研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

僕の行っていた高校は九段の靖国神社の隣にある。
鉄筋コンクリート五階建ての校舎は、そのころモダンで明るく健康的といわれていたが、僕にとってはそれは、いつも暗く、重苦しく、陰気な感じのする建物であった。
僕は、全くとりえのない生徒であった。……


 僕は九段高校という、今はない都立高校に通っていた。ここにいるとき、僕はいわゆる「浮いた」生徒だった。来る日も来る日も打ちひしがれるのは劣等感と違和感、そして孤立感だった。更に始末の悪いことに、大したとりえもないのに、「自分だけは、いずれ世間に打って出ていく何ものかなのではないか」という根拠不明の田舎根性を抱えた、度し難い瘋癲漢だった。そんなくだらない自己矛盾に陥った僕は、学校が終わるといつも足早に九段坂を東へ下り、一目散に神田神保町の古本街へ通った。貧乏学生の数少ない拠り所は、100~200円程度で手に入る岩波文庫や新潮文庫、或いはバラ売りで軒先に並ぶ中央公論社の『世界の名著』だった。

 ただ、冒頭の数行には、既視感を覚えた方もおられるかもしれない。というのも、これは小説家の安岡章太郎が自身の中学校時代を回想した「サアカスの馬」(1955年)の冒頭箇所から引用して、その一部表現を改めさせてもらったものだからだ。じつは安岡は、僕の大先輩にあたる。この短編で安岡が示してくれた感傷は、当時の自分と合致する所が多い。

 「僕は、教室の中にいるよりは、かえってだれもいない廊下に一人で出ているほうが好きだった。たまたまドアの内側で、先生がおもしろい冗談でも言っているのか、級友たちの「わっ」という笑い声の上がったりするのが気になることはあったけれど……。そんなとき、僕は窓の外に目をやって、やっぱり、(まあいいや、どうだって。)と、つぶやいていた」――そのように回顧される安岡の姿は、やはり孤立と無聊を決め込む同じ年頃の自分と二重写しになっていた。


***


 そんな高校2年生の9月のことだ。ぼんやりとテレビをつけた夜10時ごろ、ニュース番組は、米国時間午前9時ころのニューヨークを中継していた。どういうわけか、ワールドトレードセンタービルが真ん中あたりからもうもうと煙を上げている。何かの火事だろうか、と推察する間もなく、突如として画面の真横から大型ジェット機が飛び込み、巨大な爆音をあげた。茫然とした自分を前に、双子の摩天楼はあっけなく崩壊していくのだった。それはまさに、歴史上でも類を見ぬ凄惨な「滅び」の光景のはずだった。

 だが、当時の自分には、それは全く現実とはかけ離れた、ハリウッド映画のような場面に思われてならなかった。そして、ただひたすらに虚無感に呑み込まれ、濁流のような世界情勢をこれっぽっちも把握していない無力感に打ちひしがれるばかりだった。いや、そんな印象を明確に自覚しさえできないほど、「新世紀」の幕開けは僕に己の無知と混乱と矛盾を突き付けてきたのだった。


 西田幾多郎の『善の研究』(1911)を手に取ったのは、「9.11」と前後した頃だったと記憶している。あのテロがきっかけというわけではなかったが、何かが僕をこの本へと導いた。どういうわけか、一晩で一気に読みきってしまったのだった。とはいえ、内容が理解できたわけがない。とにかく、興奮するままにページを繰って、「ここには、何かがある!」という電撃が身体を貫いた。多くの方がたが語る『善の研究』との出逢いを見聞きすると、どうやらこの本はそうしたドラマに我々を巻き込む類の一冊のようだった。御多分に漏れず、何ものも知らず何ものも成し得ていない僕もまた、そのときはじめて「知」の階の前に立つこととなったのかもしれなかった。

 その後、西田哲学は自分にとって大きなヒントを与える導き手だった。特に「場所的論理と宗教的世界観」(1945)は、その哲学においてキリスト教と仏教が如何に重要であるかを僕に教えてくれる論文となった。その間、大学と大学院を通じ、キリスト教と仏教を学ぶため、ドストエフスキイや一休を学ぶに至ったのだった(これまで僕が学び舎としてきた河合文化教育研究所については、芦川進一先生の連載エッセイ「ドストエフスキイ研究会」を御参照頂ければと思う)。そうして、気づけば20年が経とうとしている。


***


 27歳の一休宗純が鴉の鳴き声を聞いて悟ったとき、「二十年前、即今に在り」と自覚したものは、豪機(血気)、嗔恚(怒り)、識情心(分別心)だったという(『狂雲集』545)。それは、一休が20年にわたる修行の日々を「愚」として捉えたようにみえる。そう考えるのも、一休にはまた次のような句もみえるからだ。


我れ、本来、迷道の衆生、
愚迷深き故に、迷いを知らず。
縦(たと)い悟り無きと雖(いえど)も、若(も)し道有らば、
仏果、天然に、立地に成る。

(『狂雲集』395「偶作」)


 「迷道の衆生」であるという自覚こそ、己が原点としてきたものであり、そうあり続けるだろうものだ――こうしたことを、一休は我々に端的に示す。そして、2016年夏に親鸞仏教センターに寄せて頂いてから、僕が強く思いを致してきたのは、まさに「愚」ということだった。親鸞以来、真宗のなかで「愚」が如何に問われていたのかに大きな課題をおぼえたのは、ちっぽけでどうしようもない自分に苛まれていた20年前との弛まぬ対話ともいえるように思う。その意味で、西田幾多郎による次のような述懐は、この20年のあいだ、自分が懊悩してきた「道」に関する重要な示しとなっている。


【キリスト教に於いて:引用者注】人間の根柢に堕罪を考へると云ふことは、極めて深い宗教的人生観と云はざるを得ない。既に云つた如く、それは実に我々人間の生命の根本的事実を云ひ表したものでなければならない。人間は神の絶対的自己否定から成立するのである。その根源に於て、永遠に地獄の火に投ぜらるべき運命を有つたものであるのである。浄土真宗に於ても、人間の根本を罪悪に置く。罪悪深重煩悩熾盛の衆生と云ふ。而して唯仏の御名を信ずることによってのみ救はれると云ふのである。仏教に於ては、すべて人間の根本は迷にあると考へられて居ると思ふ。迷は罪悪の根源である。【中略】元来、自力的宗教と云ふものがあるべきでない。それこそ矛盾概念である。仏教者自身も此に誤つて居る。自力他力と云ふも、禅宗と云ひ、浄土真宗と云ひ、大乗仏教として、固、同じ立場に立つて居るものである。その達する所に於て、手を握るもののあることを思はねばならない。

(西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」)


 世界が未曽有の苦難に呑み込まれている2021年、20年前には想像もし得なかった我々の宿命は、容易に解答や解決策が出せるものではない。しかし、そこに混乱して己の無力を歎くだけではなく、自らが本来「迷道の衆生」に外ならないという認識を徹底するところから、これからの「道」を憶うことが出来ないだろうか。そして、何が我々を生かしめているのかを、真に考え抜く契機と出来ないだろうか。我々の生死が、どこまでも摑み難く、矛盾したものであり続ける以上は――。

(2021年2月1日)

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今との出会い第201回「演じる―山崎努と一休に寄せて―」

飯島研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 或る時期までの俳優には、どこか思想家のようなところがあったと評したのは、名うてのテレビ批評家・ナンシー関だった(『何をいまさら』角川書店、1993、42頁)。自分自身が憧れた三船敏郎や勝新太郎は、「男たるもの、かかる野性味溢るる渡世人たるべし」と思わせるスタアそのものだった。その一方で、岸田森や成田三樹夫のように妖艶なまでの表現者に魅かれもした。そうした名優がずば抜けた「色気」を呈していた所以は、もしかすると徹底した洞察と思索の結晶として人間を表現してみせた、その姿にあったのではないか。狂気に近いほどに人間の業を見せつけてくるその演技は、どこまでも深く人間と世界と歴史を理解しようとした結果として顕れたものと感じられてくるのである。

 

 山崎努氏は、まさにそうした思想家の如き俳優の面目を教えてくれる。山崎氏について直ちに思い浮かぶのは、何といっても黒澤明監督の『天国と地獄』(1963)での名演である。「地獄」と表すべき貧しい生い立ちと社会格差への拭い難き怨念を絶叫するその姿は、観客の胸を掻きむしってくる。この作品については自身でも思い入れは相当あるようで、「へただなあ、今ならもっとうまくやるけどなあと思いつつ、でもあの若僧の青臭いうっとうしさや稚拙な虚勢の張りようはあの時の姿であってもう絶対に再現できない、演技とはすぐに腐ってしまう生(な)まものなのだ、いや腐ってゆく「状態」そのものなのだとあらためて感じたりした」(山崎努『柔らかな犀の角』文藝春秋、2012、154頁)。お察しの通り、この『柔らかな犀の角』という書名は、釈尊のことば――「犀の角の如くただ独り歩め」(『スッタニパータ』)に由来しており、「何をするにも自信がなく、毎日が手探り及び腰、そのくせ鼻っ柱だけは強く、事あるごとにすぐ開き直る。そんな臆病な若造」(前掲書、9頁)だった山崎氏は、この「犀の角の如くただ独り」の一句が気に入っていたのだという。と同時に、多くの演劇作品や朋友や書物との旺盛な交流を通して、山崎氏は静謐な洞察と思索を深めてこられた。

 

 山崎氏に関して、もうひとつ印象に刻まれたものがある。山崎氏は、何とも美味そうに食うのである。伊丹十三監督『タンポポ』(1985)でのラーメンにせよ、滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008)での焼き白子にせよ、こちらが喉を鳴らすほど美事に食ってみせる。その演技ほど、食が人間の生の根源に接する契機だと実感させるものはない。そうして、食を共にすることの歓びも、そこには漂っている。「美食家は生活を楽しんでいる。対人関係において懐が深い」(前掲書、214頁)という山崎氏には、確かに食への並々ならぬこだわりが感じられる。

 

 山崎氏から自分が再認識させられたのは、我々が人間を洞察し思索しようとし、そして日常へと関わろうとすれば、そのどこかで或る「振る舞い」をせざるを得ないのではないか、ということである。社会の中で自らを定位しようとすれば、赤裸の自己などというものを立てることは極めて難しい。いわば、「自己とは何か」を不可避的に考え、表現せざるを得ないのではないか。そう考えれば、ことは狭義の演劇論に留まらない。「演じる」ということそのものが、歓びも悲しみもする我々の生と死には不可分であるように思われてくるのである。

 

***

 

 一休宗純は、或る久参の居士を「十一面、那个(なこ)か正面」と評した(一休宗純賛「宝岩祐居士肖像」京都・酬恩庵蔵)。『臨済録』の句を借りて「十一面観音のごとく、どの顔が本当の顔かわからん」というのである。実はこの句こそ、一休その人を自ら評したものとも思える。というのも、一休は自らの悟道と伝統を担う矜持を表明しながらも破戒を繰り返し強調するなど、自らの矛盾と時代の堕落を真っ直ぐ見据えて生きた多面的な性格がみえるからである。一休は、自己と他者の在り方を決して妥協することなく追究し、そのために独立不羈であることを辞さなかった(これについては、芳澤勝弘「一休の墨蹟」〔『別冊太陽 一休』平凡社、2015、121頁〕を参照)。

 

 人間ならば、どんなに親しい間柄であっても、その「正面」はそうたやすくみえるものではない。ことによると、その「正面」は十面も二十面もあるかもしれない。もし「正面」がひとつだけだとしたら、人間は何と単調で味気ないことか。「あんな人だと思わなかった」などということばが聞かれるけれども、結局は周囲がみえるところしか眼を向けていなかった、というに過ぎない。我々の人格としての「自己」が他者との関係性のなかに存在していると述べたのは、精神病理学者の木村敏氏である(『関係としての自己』みすず書房、2005)。言い得て妙である。

 

 我々が関わる「場」において、公人として、家庭人として、さまざまに「正面」をみせる。そしてそのどれもが自己である。その意味で、生と死をごまかさず考え抜く山崎氏のことばに、只々謹聴する次第である。


そもそも人間はなーんにもわかっていない生き物なのだ。【中略】まごついているうちに寿命が尽きてきて、そろそろご臨終かとなる。これがふつうの人生パターン。この最後に直面する臨終が、最大の難事のようだ。まあ僕などはかなり図々しくなっているから、こと最期に関しては案外あっさりと受け容れてしまうような気もするが、しかしこれとてその場になってみなければわからない。いずれにしても人間のプロなんていないのだ。 (前掲書、318~319頁)


 演技を生業としていない者であっても、世界と歴史と人間の只中に自らを定位すること=「演じる」ということを、自身の生の営みとして観照/鑑賞せねばならないのであろう。そのとき、まさしく『スッタニパータ』58番目の韻文にいう如く、学識豊かで真理をわきまえた高邁明敏な友と交わりつつ、犀の角の如くただ独り歩んでいくのではないか。

(2020年2月1日)

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今との出会い第191回「「寝業師」根本陸夫―「道」を求めし者たちが交わらせるもの―」

飯島研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

飯島 孝良

(IIJIMA Takayoshi)

 日本の野球界に名を遺す傑人を挙げよと問われれば、根本陸夫(昭和元年[1926]~平成11年[1999])には必ず指を折らねばなるまい。但し、その理由はホームランや奪三振の数ではない。昭和から平成に活躍した綺羅星の如き名選手たちを育てあげた立役者としてである。根本は、カープ、ライオンズ、ホークスといったチームの指揮を執り、或いは裏方に回り、チーム内外の人心を掌握していく術に長けていた。トレードやスカウトを巧みに活用して一流のチームとなる種子を播(ま)き、知らず知らずのうちに常勝軍団への礎を築くその手腕は、しばしば球界の「寝業師」と呼ばれた。故に、その行実はあまり世に知られていないかもしれない。


***


 根本は、茨城県石神村(現・東海村)の村長を務めた父・時之介の次男として生まれたクリスチャンであった。幼少期からしばしば友人の喧嘩の仲裁に入るなど、親分肌だったようである。当時は荒くれ者の集う男子校として知られていた茨城中学校(現・茨城高校)を「素行不良」を理由に放校処分となり、日本大学第三中学校(現・第三高校)へと転校する。ここでバッテリーを組んだのが関根潤三であった。法政大学へ進学しても引き続き関根の投球を受ける女房役を務めている。その関根によれば、戦後間もない渋谷の闇市で暴れ回った硬派学生の根本は、界隈の暴力団にも一目も二目も置かれる存在となっていたという(高橋安幸『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』集英社)。のちに近鉄パールス(現・オリックスバファローズ)に捕手としてプロ入りするが、在籍6年間の内に目立った活躍の無いまま引退する。その根本がにわかに脚光を浴びたのは、1968年に広島カープ監督に就任して球団初のAクラスへと導いたときである。このとき、根本や関根潤三や広岡達朗といった首脳陣が、後年に「赤ヘル軍団」が勝ち続ける礎を築いていく。さらに西武ライオンズの初代監督となって管理部長を務めてからは、秋山幸二・石毛宏典・工藤公康らを緻密なスカウト術で獲得して育て、のちの広岡達朗政権下ないし森祇晶政権下で「常勝軍団」となる道筋を通した。その秋山らは、根本が監督兼球団取締役に転じていた福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)へと後を追うように移籍し、これも王貞治政権下以降にホークスが幾度となく日本一となる基礎となっていったのである。

 このような経歴を見聞きすると、根本が余程の剛腕であり酒豪であるかのように思われるが、その「荒くれ」が如何ほどかは実は詳らかでない。根本が「わからない人」だという評も少なくなく、中学校・大学・プロ野球を通して親友と言うべき長い親交があったあの関根潤三でさえ、「顔に似合わずシャイな人間だったが、よくわからないところがあった。ひとくちでは、とても言い表せない」と評するほどであった(浜田昭八・田坂貢二『球界地図を変えた男・根本陸夫』日本経済新聞社)。ただ、確かなのは、根本はワインをわずかに嗜(たしな)む程度で殆ど酒を呑まず、その代わりに何時間でも野球談議に花を咲かせる座持ちのよさと、些細なミスや揉め事は気にせずカラリと受け流してくれる人柄があったことである。

 そうした根本の為人(ひととなり)が最も感じられるひとつが、「鉄人」衣笠祥雄との交流である。


「そこで野球のことを習った記憶はない。根本さん(当時カープ監督)に話していただく内容は、ひとりの人間としてどうやって生きていくのか、そのような話ばかりだった。

『世界は広いぞ、お前はどう生きるんだ』

根本さんはこんこんと私に言って聞かせる」

衣笠祥雄『水は岩をも砕く』KKロングセラーズ


その衣笠がしばしば思い出したのは、根本のこんな言葉だったという。


「自分らしい野球をやってみろ、衣笠を作れ……」

(同前)


根本は、「お前の技術が向上すればそれでいい。そのためならチームが一〇敗、二〇敗しても構わない」とまで、衣笠に言明したという。ここにあるのは、目先の利を求めるような浅薄さではない。まさに信頼であり信念そのものである。であるからこそ、西武ライオンズで根本の指揮下にあった田淵幸一をして次のように言わしめたのであろう――「ひと目みて、ああこの人は頼れる人だなと思いました。この人の下でなら、散るまで、泥まみれになって野球ができるのではないか。西武に入ることで、僕の野球に対する姿勢ばかりか、人生観まで変わるのではないか。そんな気がしました」(前掲『根本陸夫伝』)。 根本が監督としてリーグ優勝を経験することはなかった。だが、球団の――そして球界の将来を見据え、有望な選手を如何に見出して育てあげるかに心血を注いでいた。それは単純な私利私欲では到底成し得ぬものであろう。根本が日本全国を飛び回り、プロ・アマをまたいで幅広く交流を深めていくなかで多くの人々に心酔されたのは、教え教わるときのその「求道」の姿があったればこそといえるのではないか。

 

***

 

 道元が「眼を開(かい)して眼に眼授し、眼受す。面授は面処の受授なり。心を拈じて心に心授し、心受す。身を現じて身を身授するなり」(『正法眼蔵』面授巻)というとき、伝わるものは佛である。道を求める者同士が出会って心が交わるときの在り方は、しばしば劇的であり、その教え教わる「場」を目の当たりにする我々の心をすら揺さぶってくる。今、そのように心を交わらせて教え教わり、ひとつの仕事を成し遂げようとする「場」はどれくらいあり得るであろうか。

 

 「一期に一度の会」(『山上宗二記』)という。ならば、その出会いを成り立たしめるのは、他ならぬ互いの心であろう。「内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず」(森信三)とは、至極名言である。こちらが常に深く学んでいなければ、伝わるものにならない。あちらが求めているものに気づかなければ、交わることにならない。心を以て心を伝え、生まれるものがある、ということなのであろう。

(2019年4月1日)

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投稿者:shinran-bc 投稿日時: