親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第227回「大きくなったら」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 保育園の園長をしていると、心配事も絶えませんが、楽しいことも常に起きます。その中でも子どもたちと会話ができるのは本当に楽しいです。ゼロ歳児から入園した子どもなどは、発語さえおぼつかなかったのに、段々と言葉を発し会話となっていく過程を見ることができます。成長とはこのことかと、我が子のように嬉しくなりますね。
 そんな子どもたちは、私に対しても時に甘え、時にぶつかって、時に思いがけない言葉で驚かせてくれます。

 例えば、こんなことがありました。内科検診の順番待ちで、子どもたちが廊下に座っていました。そんな時、3歳児クラスの子どもが私に聞いてきたのです。

「園長先生は、大きくなったら何になりたいの?」

 えっ?と少し戸惑った後、私は自信ありげに言いました。「園長先生は、立派な人になります!」と。すかさず尋ね返します。「じゃ、◯◯ちゃんは何になりたいの?」。その子は私をまっすぐ見て言いました。

「私はね、地震からね、みんなをね、助けたいの」

 園長先生(=私)は、大きくなるどころか、自分のことを小さく感じました……。

 小さく感じた理由は、子どもは立派なことを言ってくれるのに、それに対し、自分の発言の陳腐さもあったでしょう。でも、もう一つは自分の中で「大きくなったら」のビジョンがなかったこともあると思います。実際、人はいつ頃まで「大きくなったら」の自分を想像しているのでしょう。子どもの時は「将来の夢」として大きくなった自分を考えます。その夢が叶う人も、そうでない人もいるでしょう。しかし、「大きくなる=何かに就く」という発想がそこにはあります。もし、そうだとするならば人は就職したら「大きくなる」ことは終わるのでしょうか。それ以降は余生?

 大人=大きい人が、さらに大きくなるとはどのようなことでしょう。出世、安泰、裕福、……このように書いているだけで、いかに自分がこれからの自分を考えていなかったのか、発想の貧困さを思い知らされます。子どもの発言は、「日々、一生懸命生きているようにしているけれど、結局どこに向かっているの?」という問いとして、私には残ってしまったのです。皆さんなら、どのように子どもたちに答えますか。

 私には、残念ながらまだ答えが見つかりません。というよりも、今ここで早急に答えを出すことは、先の「立派な大人になります!」と同じような浅い答えになってしまうでしょう。

 仏教では人の生き方、人生を「道」で例えてきました。古から続く道、無碍の一道、白い道などです。どのような道を、どのように歩んでいくのかについての考察となりそうです。さらには、「大きくなったら」を身体的変化ではなく、内面的変化に寄せることもできそうです。そのときは、『大無量寿経』で言えば、「深く」「広い」「智慧」をいただく、とも考えられるでしょうか。いずれにせよ、子どもとの会話は、時に私を思索の世界へと誘う、大切なご縁なのです。

 このように書きながらも、文章をきれいにまとめようとする、小さな自分が見えてくるのです。

(2022年3月1日)

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今との出会い 第217回「いい話」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 人前で話をした経験のある者は、「いい話だった」という感想を言われたいという思いから抜け出ることは難しいだろう。私は法話をする上で、いつも思い出すセリフがある。それは、とある研修会での座談会でのこと。数班に分かれて座談を行うのだが、ある担当者が次のような参加者の発言を紹介していた。

「仏教の話というのは、聞いていると明るくなるものだと思う。なのに、あんたはさっきから難しい、暗い顔ばかりして話している」

 この言葉が今でも苦笑とともに、私の胸から消えない。消えないのは、自分に思い当たる節があるのと同時に、そのような意見が間違っていないからである。

 経典を読むと釈尊の説法が終わり、集う者達が喜ぶ描写は多く見られる。


仏、経を説きたまうこと已(おわ)りたまいしに、弥勒菩薩および十方来のもろもろの菩薩衆、長老阿難、諸大声聞、一切大衆、仏の所説を聞きたまえて歓喜せざるはなし

(『大無量寿経』、東本願寺出版『真宗聖典』88頁)


 文字通りに読めば、仏教界の錚々たる方々が喜んでいるわけだから、さぞかし壮観であろう。同じく『大無量寿経』には「歓喜踊躍(ゆやく)」という言葉もある。微笑みではない。踊り出すほど全身で喜びを表現しているのである。親鸞聖人は感情の表現を緻密に行うので、「踊躍」についても「よろこぶこころのきわまりなきかたちなり」(『一念多念文意』、『真宗聖典』539頁)と述べている。親鸞聖人自身も喜びを体感していたに相違ない。


 しかし「喜び」ばかりが突出することはいけない。仏法に出会うことが「喜び」とのみリンクすると、それが仏法をきちんと聞いていることの基準となってしまう。この悩みに直面したのが唯円であった。「お念仏をしても、どうも歓喜踊躍の心とまではいかないのですが…」と師である親鸞聖人に尋ねている。唯円は師から叱責を受けることになると思っていたかもしれない。しかし師の答えは弟子が予想さえ出来なかったものであった。師は「それでいいのだ!」(趣意)と答えたのだから。詳細は省くが、『歎異抄』のこの返答は思想史上に残ると思う。唯円はこの答えで救われたに違いないが、「いい話だった」と思っただろうか?


 先の座談会の感想に戻ると、確かに僧侶は暗い顔をしがちである。それは真剣さと深刻さが混乱しているからである。深刻な顔をしながら、「人間とは愚かであり…」などと話されては、確かに受け入れがたいこともあるだろう。僧侶は伝わり方を十分に考えねばならないことは事実だ。


 ただ、私が先の感想に共感しながらも、全面的に肯定できないのは、そこに聞き手の問題が看過されているからである。聞き手があらかじめ期待している仏教のいい話とはどのような類かは問われるべきであろう。そこにお涙ちょうだいや、人生を肯定するばかりの話を期待しているのであれば、そもそも求めることが間違っている。仏法を聞いて明るさが生まれるには、闇をくぐらなければならない。経典を読んでも、『歎異抄』を読んでもそこには人々が悩み、迷う姿が丹念に描かれている。それは誇張ではなく、仏から見た、人間の姿に過ぎない。それは人間の期待する自分の姿ではない。納得することは難しい。だからこそ聞く意味があるのだ。


 仏教の「いい話」とはどのような話だろう。それは分かりやすさばかりが求められている現代において、実は大切なテーマだと私は思っている。

(2021年5月1日)

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今との出会い 第205回「次の日常」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 私の住む日立市には「いきいきひたち100年塾」という組織がある。生涯学習を市民で盛り上げていこうという取り組みであるが、その市民教授に今年登録を済ませた。「仏教」と「絵本」の二つを登録し、市民の方々と学びを通じての交流をはかったのである。また、お寺では新しい取り組みとして「法話とコーヒーの会」を立ち上げた。もともとコーヒーが好きだったのだが、地元の若手コーヒー焙煎士とご縁ができたことが、この会の始まりだった。法話の後に焙煎士の淹れるコーヒーと、私の作るスイーツをいただきながら、御門徒や一般の方々と語り合う会だった。また、保育園の方では全国に何カ所か研修に呼ばれており、それらを楽しみにしていた。地元の街に目を向けると、商業施設が完成し、久しぶりに映画館ができるとあって賑わいが期待されていた。このようにたくさんの予定があった2020年であった。


 しかし、そのどれもが無くなった。

 正確に言えば予定通りには進んでいない。 新型コロナウィルス感染症の流行により、私も世の中もそれどころではないのだ。


 中止となった会もある。賑わいを取り戻すはずだった商業施設は閑散としている。「こんなはずじゃ…」と何度も心で思う。そして今私は予定外の行動――こまめな手洗い、毎日着けるマスク、人混みをさけるなど――を新たな習慣としている。習慣が日常を作るのであれば、私は新たな日常を生きていることになる。

 多くの方が今回の感染症拡大を通じ「どうなるんだろう」という不安にかられている。それは学校に行けない不安でもあろう。仕事がなくなる不安でもあろう。自分が感染したらどうしようという不安ももちろんある。具体的に言えば、生活が成り立たない不安である。抽象的に言えば、日常が変わってしまう不安である。その不安はどこに由来するのかと言えば、「生きていけない」という思いにその源泉があると言えよう。


 しかし神学者であるパウル・ティリッヒが『生きる勇気』で「恐怖」と「不安」を分けて論じていたことは参考になる。ティリッヒによれば恐怖とは「一定の対象」をもつものであり、「人間はそれに対してはたらきかけること」ができるものである。それに対して「不安」とは対象をもたない。それは「あらゆる対象の否定」である。よって何ら働きかけることはできない点で両者は異なる。


 恐怖は、ある物ごと、たとえば苦痛とか他人や社会からの排斥とか、ある人や物を失うとか死の瞬間とか、を恐れている。しかし、これらによる脅かしの予想においてわれわれを恐れさせるものは、それら具体的な物ごとによって主体にもたらされる否定性それ自体ではなく、むしろこの否定性のなかに潜在的に含まれている何かに関する不安なのである。

(パウル・ティリッヒ著/大木英夫訳『生きる勇気』平凡社ライブラリー〔1995〕、64頁)


 この言葉に倣えば私が、あるいは私たちが感じている上のような思いは「不安」ではなく「恐怖」だろう。確かに上記の出来事は深刻な精神の不安定さをもたらすが、経済的支援や学校再開などである程度は対処可能な領域である。それに対して不安の原因は「無」という私たちへの「脅かし」なのである。つまり、私たちが日常的に大切にしているものは虚無の上に成り立っていることを潜在的に感じることが不安の原因なのではないか。それは無意味さの痛感であり、そこへの抗いが私たちをより不安にさせるのだ。


 それは「死」さえもそうである。ティリッヒによればそれが「恐怖」である場合には「病気とか事故とかによって生命を奪われること」への恐れである。しかしそれが不安である時には「死のあと」にまちうける「無」が原因なのである。

(前掲書参照)


 私たちは今回の新型コロナウィルス感染症の拡大を通じ、様々な苦悩や心配を経験している。いつ「しゅうそく」(この場合は感染症が消滅する「終息」ではなく沈静化する「収束」が適当であることは歴史が教えるところである)するかわからない日常を過ごしている。「新型コロナ流行前の日常には戻れない」と識者は言うが、ならば次に訪れるのはどのような日常なのか。それは虚無をより強く覆い隠そうとする日常なのか。それともこれまでの生き方を反省する日常なのか。おそらく前者だろう。しかし、虚無を潜在的にでも経験したことを私たちの体は忘れることはない。そもそも虚無が潜んでいるとはいえ、生きることをやめることはできない。ならば、いつか訪れる「次の日常」を過ごす鍵は何か。それはティリッヒの言葉を再度借りれば「それにもかかわらず in spite of」生きていくという、「生きる勇気」なのだと思う。

(2020年6月1日)

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今との出会い 第195回「おそだて」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 同じものを見ていても、同じように見ているとは限らない。そのような経験は誰にでもあるだろうが、私は子どもたちと接する中で感じることが多い。特に、私は保育園に勤務しているので、幼い子たちの言葉、考え、そしてまなざしから教えてもらうことがとても多い。


 その中でも特におどろいた出来事があった。それは「子ども報恩講」の絵である。毎年、報恩講の時期には親鸞さまの絵を描いてもらっている。題材はもちろんフリーなので子ども達の感性が反映されるわけだ。私は初めて見たとき、文字どおり絶句した。

 「おそうじするしんらんさま」「せんたくするしんらんさま」「こどもたちとあそぶしんらんさま」「ごはんをたべるしんらんさま」・・・おぉ、生活者!


 そうだよなぁ、お掃除も洗濯もするよなぁと絵を見ながら思う。同時に考えるのは、なぜそのような題名を見て私は驚いたのだろうということだ。一応(?)、親鸞を研究してきたが、一瞬たりとも「親鸞の洗濯の方法―中世の水事情をふまえて」や「親鸞の食生活―特に比叡山時代を中心に」、または「親鸞の幼児教化―お遊戯的教化の誕生」などという論題を思いついたことがあったろうか。ない。

 幅広く学んでいるつもりでいた。視野を狭めないようにと心がけていた。しかし、それは自分の希望であり、思い込みであることを子ども達から教わる。親鸞という人物を見るのは同じでも、瞳に映るものは違うのだろう。子ども達には一人の大人の人として。そして私には研究対象の思想家として。どちらが、「同朋」に近いのかは考えねばならない。


 私は真宗の学びをする中で、大切な言葉にたくさん出会ってきた。その中の一つに「おそだていただいた」がある。これはおそらく自分を育てていただいた、仏縁を有する方々への感謝の思いだろう。そして、何よりも親鸞、釈尊、阿弥陀への感謝の思いがあるかもしれない。けれど、私は身近な子ども達から育てていただいているように思う。


 保育とは、文字をそのまま読めば「育ちを保つ」となる。文字通り、「おそだていただいた」である。「子育て」と「おそだて」の発音が似ているのは偶然以上のものがある。一方が育て、もう一方が育てられるだけという関係はあり得ない。思えば親鸞が「私には弟子は一人もいない」と言えたのも、共に学びあい、育ちあうことを実感していたのだろう。「子ども」ではなく、「ともだち=同朋」と心から見ることができるとき、私の仏教理解もまた変わるのかもしれない。

(2019年8月1日)

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今との出会い 第185回「深さの次元」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

人間の生はもはや深みの次元においてではなく、水平線的な次元において営まれる。「さらにより多く」「さらにより大きく」「さらによりよく」というような言い方が、この水平線的な方向をあらわす徴候である。

(「失われた次元」『ティリッヒ著作集』第4巻 白水社 60頁)


 平成がもうすぐ終わろうとしている。突然、終わってしまった昭和とは異なり、終了までの猶予が与えられている希(まれ)な時代として平成は記憶されるであろう。

 この30年間の特記すべき事柄としては、インターネットの普及による生活の劇的変化があげられる。インターネットは世界をコンパクトにした。グローバル化という言葉は決して絵空ごとではなく、現実にそうなっている。世界の状況を私たちは瞬時に知ることができる。また、何かほしいものがあればネット上からクリックすれば楽に手にすることができる。それを可能としたのは、人間の「もっともっと」という発想であろう。「もっと早く」「もっと安く」「もっと楽に」・・・このように平成の30年間は、日本も世界も「もっともっと」の追求と実現により進んできた。

 しかし、それは上のティリッヒの言葉によれば、水平線的方向である。平成という時代を「平らに成った」と読むのならば、まさに時代の特徴を言い当てているだろう。私たちは水平線的に生きるものとなった。「もっともっと」への推進力が、私たちの生活をかたどっている。

 だが、ティリッヒは私たちが忘れている次元を指摘する。それは「深みの次元」である。「深みの次元」の喪失とは何を意味するのか。


それが意味するところは、人間が、自己の生の意味に関する問いに対し答えを失ったということである。その問いとは、人間はどこから来てどこへ行くのか、人間は誕生と死とのあいだの短い期間のなかで何を行ない何をつくり出さねばならないかという問いである。

(同上58頁)


 水平線的生に慣れたものにとり、このような問いは出すことさえ難しい。しかし、私たちはどこまでいっても、欲望が止むことはない以上、生の満足には大きな軸の転換が必要である。深さの次元の喪失に気づくことは、私たちが見失ったものを知ると同時に、本来有していた次元に気づくことでもある。「深さ」の探求こそが生の充実を与えるのだろう。

 ティリッヒは「深さの次元」への問いこそが宗教的な問いであるとした。その指摘を受けるとき、「深信自信」「深広無境涯底」など、真宗がいかに深さの探求を述べていたのかについてあらためて気づく。「深さの次元」の提示は、新たな元号の時代となる今後、ますます大切な言葉となるに相違ない。

(2018年10月1日)

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今との出会い 第175回「紙芝居」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 大谷保育協会主催の研修会に講師として参加する機会を得た。新任の方々の研修会だったので参加者は緊張している様子だった。私は緊張もするが、後輩に出会うのが好きなので楽しみに参加したのである。

 「真宗保育とはどのような保育か」についての講義を行った。しかし、今回のメインはそこではない。研修のメインは「紙芝居」の制作である。

 紙芝居と聞くと、それぞれに思い出があるだろう。終戦直後だったら「黄金バット」を思い出す人もいるかもしれない。子どもたちは夢中になったらしい。しかし、それは決してモノがない時代だったから(それもあるだろうが)ではない。現代の子どもも、紙芝居は夢中で見る。つまり、子どもたちはおもしろいお話が好きなのだ。


 私が保育園に勤務して間もないころ、新しい読み聞かせをしたいと思い、その方法を考えていた。それも普通ではつまらない。登場人物たちが動いたり、さまざまな仕掛けがあったらどうだろうと考えた。それでは作品は何にするか。仏教保育らしさは大切にしたい。しかし、お説教ではなく、ストーリーがおもしろくなければ意味がない。その結果、選んだのが芥川龍之介の『蜘蛛の糸』である。

 お釈迦さまが極楽を歩き、カンダタが地獄で苦しみ、極楽から蜘蛛の糸が垂らされてくる・・そのようなシーンを仕掛けつきで構成していった紙芝居となった。幸いにも幼児から年配のご門徒の方まで、幅広い世代に受け入れてもらえた。制作から10年近くたった今では、地域の幼稚園で披露する機会もいただいている。この他、『杜子春(とししゅん)』や曇鸞(どんらん)、阿闍世(あじゃせ)の紙芝居も作ったが、どの紙芝居もじっと見て、聞いてくれている。


 新任研修会で披露した際にも参加者の方は喜んで見てくれた。研修会では「花まつり」「お盆」「成道会」「涅槃会」といった仏教行事を『真宗保育カリキュラム』をもとに作成していった。紙芝居を作る利点としては、そのもととなる文章をじっくりと読むことがあげられる。いわゆる在家の方である参加者には、楽しみながら仏教行事を知る機会となったら幸いだ。参加者からは「聞くだけではなく、参加できたのでよかった」「みんなと話し合い、紙芝居を作るなかで、友達になれた」という感想が聞かれた。この言葉を聞いて思い出した歌詞がある。

 「やさしさ紙芝居 そして誰もが主人公」・・・。これはテレビドラマ『熱中時代』のテーマソングであった「やさしさ紙芝居」の一節だ。誰もが人生の主人公。見ているだけでなく、自分、そして仲間と作りあげてこそ人生はおもしろい。子どものときに聞いていた歌詞が、今、なぜか頭のなかで鳴り響く。


 精神科医のレインは「アイデンティティとは、自分が自分に語るストーリーである」というようなことを言っている。ならば、よりよき自分のために、よりよきストーリーを聞きたいと思う。お釈迦さまの人生は、そのようなストーリーに満ちているのである。

(2017年12月1日)

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今との出会い 第165回「別れと気づき」

田村研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

田村 晃徳

(TAMURA Akinori)

 2月には大切な日がある。それは2月15日である。仏教徒でなければ、この日が何の日であるかはわからないかもしれない。この日はお釈迦様が入滅、つまり、その生涯を終えた日である。


 お釈迦様が入滅した様子を描いた「涅槃(ねはん)図」をよく見ると、興味深いことに気づく。それは横たわるお釈迦様を見て、悲しんでいる者と、平静を保つ者たちに別れているのであろう。解説によれば、それは無常の理を知る者と、そうでない者たちの差であるという。お釈迦様が入滅するまでに、覚(さと)りが開けなかったアーナンダは、当然のごとく悲しんでいる。「私をあわれんでくださるわが師はお亡くなりになるだろう」と悲しむアーナンダに、お釈迦様は次のように述べたという。


やめよ、アーナンダよ。悲しむな、嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、―すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。

(中村元訳『ブッダ最後の旅』137頁)


アーナンダがこれを聞いて、悲しみがやんだとは思えない。そして、私たち凡夫からすれば、大切な人と別れる際に悲しみをこらえきれないアーナンダにこそ、親近感を覚える。お釈迦様は、アーナンダの気持ちは承知であったはずなのに、なぜそのような言葉を述べたのか。


 それは、やはりアーナンダが大切であったからだろう。自分が亡くなっていく姿をもって、アーナンダに文字通り渾身(こんしん)の説法をするのである。愛弟子の成長を最後まで望んでいたお釈迦様の姿、先程のアーナンダの言葉を用いれば「あわれんでくださるわが師」の姿がよく見えてくる。人は、別れによって大きな気づきを得るのだ。


 私は保育園に携わっているが、そこでは仏教行事も行う。あるとき、ふと気づいた。子どもたちの1年間の成長が、お釈迦様の生涯とリンクしているのである。4月に新しいクラスとなったときは、新しい自分の誕生を喜ぶ。これはお釈迦様の誕生会とリンクする。そして、日々の生活を通じ、大切なことを学び、気付いていく。これは12月の成道会が関係する。そして2月となり、もうすぐ別れが来るであろう仲間たちを思いつつ、生活を続けていくのである。別れは悲しい。しかし、別れがあるから、逆に自分が出会っていたものの大きさを知る。お釈迦様の人生を知ることは、人の成長の過程を知ることなのである。

(2017年2月1日)

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