親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

今との出会い 第224回「「こちら側」と「あちら側」――浅い理解と深い共感」

宮部研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

宮部  峻

(MIYABE Takashi)

 今でこそ出会うことは少なくなったが、私の言うことにすぐに「わかる」と相槌を打ってくれる人が周りに何人かいた。皮肉屋の私は、「自分が苦労して考えてきたことや悩みに対して、そんなすぐに『わかる』という浅い言葉で済ませるとは何事か」と心の中で絶えず思い、未熟なので、ときに口に出した。もちろん、相手に悪気があったわけではないだろうが。とはいえ、こちらの考えていることは、あちらにそうたやすく理解できるわけはないだろうと思わざるを得ないのもまた事実なのである。そうであるからこそ、ときに「こちら」と「あちら」で分断が生じる。これは何も一対一の関係に限ったものではない。政治やジェンダー、人種をめぐっても「こちら」と「あちら」の分断は見られるし、SNSでも分断は生じている。どうやら「こちら」と「あちら」はわかり得ないようだ。にもかかわらず、さもわかったかのように、双方が互いを語ってしまい、双方はその語りを事実ではないと反発して、ますます分断がエスカレートしてしまうのだろう。


 アーリー・ホックシールドという社会学者が『壁の向こうの住人たち』(布施由紀子訳、2018年、岩波書店)という本で、ティーパーティーやトランプ前大統領の支持者にインタビューをして、アメリカ右派の人々が支持する政策の根底にある感情に迫ろうとしている。ホックシールドは、バークレーというアメリカでもリベラルの多い地域に住んでいることもあって、果たして、「壁の向こう」にいる右派の人々は何を心で感じているのか想像しようとした。ホックシールドは、右派の人々が心で感じている物語を「ディープストーリー」と名づけ、それに迫ろうとしている。ホックシールドが立派なのは、ティーパーティー支持者やトランプ支持者の感情を描き出したことに留まらない。決してバークレーという地域に留まることはなく、「壁の向こう」の「あちら」の街へ踏み出そうとしたことである。ホックシールドは、理性に留まらず、理性を揺るがしかねない感情の領域に迫り、深い物語へと迫ろうとしたのである。そして、それを言葉にしようとした。


 私たちは「あちら」を理解しているようで、その理解は浅いものであることが多いのかもしれない。「あちら」には、それぞれの感情に支えられた深い物語がある。その深い物語を理性で理解するのは、至極困難であろう。

 しかし、それでもなお、私たち——少なくとも私——は、「あちら」のことを頭で理解して言葉で語ろうとすることをやめられないし、やめるつもりもないだろう。身近な生活の領域で分断が生じやすい今だからこそ、「あちら側」に深い共感——ただし、安易な同調ではない——をし、その感情により揺らいだものを頭で理解し、言葉にしていく試みに救いの一手を見出したいのだ。

(2021年12月1日)

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今との出会い 第213回「クソどうでもいい時代に対抗するために」

宮部研究員のエッセイ

親鸞仏教センター嘱託研究員

宮部  峻

(MIYABE Takashi)

 去年の8月に、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、岩波書店)という本が翻訳・出版された。世界的にも著名な学者が現代の労働環境を真面目に分析した本のタイトルに「クソどうでもいい」という言葉が入るのだから、世も末だな、と笑いながらも、この本の分析には、自分の周辺の状況と照らしてみても「なるほど」と納得させられるものがあった。


 テクノロジーの進展とともに、人が生産に携わる労力は大幅に減少した。その代わり、コンサルタントやマーケティング、金融サービス、人材管理、広報といったサービス業が増大し、膨大な書類・手続き業務の割合も増加した。これらの仕事は直接には生産に携わっていないから、何のために仕事をしているのかと多くの人が苦悶する。にもかかわらず、いやだからこそ、書類作成や会議・ミーティングに熱心になり、自己啓発のためにセミナーにも出席する。しかし、これらの仕事がやはり世の中にとって本当に必要な仕事なのかはよくわからない。おかしな状況である。これまであまり問題化されてこなかったが、多くの人が無意味に感じてきた仕事を「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」とグレーバーは名付けている。ウィットに富んだ書き振りでありながらも、グレーバーが明らかにした現実は、あまりにも過酷なものである。

 なるほど、膨大な書類仕事のように、人の役に立っているのかもわからない仕事に対して「ブルシット(クソどうでもいい、騙されている)」とついつい言ってしまいたくなる気持ちもわかる。というより、何を隠そう、私の口癖に近いものが少なからずある。私自身は、書類仕事が比較的少ない環境にいるはずだが、それでも関わらざるを得ない局面が少なからずある。


 常日頃、私の言葉の汚さは「育ちの悪さによるのだろう」と思っており、周りにもそのように説明することが多い(だからと言って私の言葉に不快な思いをした人にとって許されるべきことではないのだが)。だが、この本によれば、どうもそうではないらしい。いわく、資本主義が生み出した現代社会の病理によるものだそうだ。私は育ちによるものとは限らないらしいと安心(?)するとともに、だとすると、これは根深い問題だと思った。個人の品性の問題ではなく、資本主義社会が原因で、不可避的に「クソどうでもいい」という言葉を発したくなる、あるいは発せずとも心理的にフラストレーションを抱えてしまう状況が作り出されているからだ。

 仕事での怒りに似た感情や気持ちを沈めるのに、アンガー・マネージメントやマインドフルネスと言った手法も注目されている。しかし、「クソどうでもいい」という怒りにも似た感情を押し殺すだけであるなら、社会的な問題を個人の問題にすり替えたに過ぎない。なら、素直に「クソどうでもいい」と言うべきか。それとも、何か代わりの言葉を与えてやるべきなのだろうか。


 言えそうなのは、怒りを宥めるのでもなければ、怒りを一人で抱え込むこともさせずに、その感情を自己へ、他者へ、社会へと表現する言葉を与えてやることが必要だということだ。それが今のところ「クソどうでもいい」という言葉なのかもしれない。ただ、代わりの言葉が見つかったとき、社会は良い方向へと向かっていくのではないか。こうした可能性に賭けてみたく思う。

(2021年1月1日)

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