いびつさの居場所

中村 玲太 NAKAMURA Ryota

親鸞仏教センター嘱託研究員

そうでしたねー、と透明な相づちを打つ。自分の気持ちが透明なのだから仕方ない。今年1月に祖母を亡くした。ある時期、両親よりも長い時間を祖母と過ごしていた。ただ、親族や地元の知り合いが祖母を語る輪には入れなかった。

18歳で地元を離れ、川崎で10年を過ごした。魂の故郷は川崎だと思っている。と余分な思いを挟みつつ、故郷とは割り切れないものだなと思う。

好きでもあるし嫌いでもある、自分のルーツだと言いたくもあるし言いたくもない。そんな何とも言い難く、それでいて「魂の」などと形容をつける必要もなく、必然的にそこにずっと在る故郷の、故郷を象徴するような祖母の葬儀に参列していた。

この1年は過去の自分と向き合う日々であった。特に自分が書いた文章を見直すというのがこれほど酷な作業だとは思わなかった。研究分野としては浄土教、特に法然の直弟・證空(西山派祖)の思想を専門としてきた。その證空思想を解明するにあたり、今なお折に触れ解釈し続けているのが、我々の往生と弥陀の成仏の問題である。いわゆる「往生正覚倶時」説と呼ばれる證空の教えについてである。

衆生を往生させなければ正覚を取らない、仏陀にならないと法蔵菩薩は誓っている。その法蔵菩薩がすでに仏陀になっているのだから、我々の往生はすでに完成しているのだ、とするのが「往生正覚倶時」説である。

しかし、これは逆向きからも言えて、我々の往生が成り立たなければ――すなわち他力の信心が我々の上に確立しなければ、弥陀の正覚も成就されないのである。證空は、弥陀が正覚を成就した時を必ずしも十劫の昔に限定していない。我々の信心のところに弥陀が正覚を成就するとしている。これを受けて、書いた拙文が以下の通り。

衆生を度せんとする法蔵菩薩の兆載永劫の修行を受けて、今ここに弥陀が弥陀となる歴史の実現を自己の上に見た信仰告白こそが證空の「往生正覚倶時」説であろう。(「「機法一体」説成立の再検討――證空における「往生正覚倶時」説を中心として」『真宗教学研究』第37号〔2016〕、79頁)

今なお苦悶する一文である。「往生正覚倶時」の説明だけであれば、上記の説明だけでもよいのであるが、そこから力んで一歩踏み越えた一文である。もしかすると余分な説明かもしれない。そして、「弥陀が弥陀となる歴史の実現」とは……? 何度読んでもこのままでよいのか難しいところなのだが、修正するのも苦しくなる一文なのだ。永井玲衣『水中の哲学者たち』の一節を思い出す。

  • もたもたと言葉を重ねて、話は遠回りし、関係ないようなことを口走り、いややっぱり違いますごめんなさい、と顔をしかめて、他者は、他者だから、他者だから尊重すべきなんです、と繰り返す。
    みんなは、え? どういう意味? もっかい言って、どういうこと、どういう意味? と身を乗り出して、彼女と共に考えようとしている。/それを見たわたしはふと思う。昔読んだわけのわからない哲学書。彼は、世界のわけのわからなさを、わからないまま伝えるしかなかったんじゃないか。

(「あともう少しで」より)