景色がかわるとき

親鸞仏教センター研究員
谷釜 智洋
(TANIGAMA Chihiro)
「人格ある誰かを見失うな」。山川冬樹氏のインタビュー記事の見出しである(『毎日新聞』東京夕刊2020年6月8日)。偶然みつけたこの記事をきっかけに、山川氏が「ハンセン病問題」に向き合った『海峡の歌』というインスタレーションを発表していることを知った。かねてから氏のライブパフォーマンスには常に驚かされ、その世界観に魅了されてきたが、この『海峡の歌』に込められた思いには特に惹きつけられた。
香川県にあるハンセン病療養所、大島青松園からかつて自由を求めて対岸にある庵治町へ泳いで渡ろうとし、その過程で命を落とした人々がいた。このインスタレーションでは、その事実に基づく映像作品も展示されている。([参照] ART SETOUCHI)
異なる療養所であるが、2014年に私は岡山県の長島愛生園へフィールドワークとして訪れたことがある。その際に園内にある真宗寺院や歴史館においてハンセン病の回復者の方々と交流する機会を得た。そこで眺めた海の景色は、自分には広々と穏やかに見えていた。歴史館の資料や回復者の方々の話から、愛生園から脱走を図った当時の患者達の中にも青松園と同様のことを試みて、亡くなられた方が何人もいたことを知った。この事実を知った途端、言葉では説明できないような感情がこみ上げ、穏やかに見えていた海の景色が一変するという体験をした。
近代の大谷派と「ハンセン病問題」については、昭和6(1931)年に国が発した「らい予防法」の制定がまず注目される。この法令でいう「予防」とは名目で、ハンセン病患者を強制隔離するための法律であったといわれている。教団としてその政策に加担してきた大谷派は、法令の制定に合わせて、大谷派光明会を結成し、慰問布教として僧侶を療養所に派遣するが、その実質的目標は強制隔離を患者自身の運命としてあきらめさせることにあった。大谷派出身の僧侶であり医学者の小笠原登(1888-1970)は、この隔離政策に異をとなえたが、当時の教団を動かす力とはならなかった(『増補 小笠原登――ハンセン病強制隔離政策に抗した生涯』、東本願寺出版、2019年を参照)。
2011年12月頃であったか、東日本大震災の被災地のひとつでもある岩手県の大槌町を訪れた際にも、愛生園のときと似たような感覚に襲われた。震災から1年も経たない時期であったが、余震がだいぶ落ち着き始めていたこともあり、同県に住む友人を尋ねた。友人からその景色を見るように促され、一人で大槌町に向かった。私自身にも被災地の現状をこの目で見なければという思いに駆られるところがあった。
町には更地の中に山積みにされた瓦礫がいくつもあった。その港から海を見た途端、ここで多くの人の命が尽きたことを考えると、身がすくみ、かつてそこにいた人々の声すら聞こえてきたような気がした。なんらかの事実に触れることで普段通りの景色は、まったく違うものに映ってしまう。
冒頭で言及した映像作品で山川氏は、過去の出来事とは逆に庵治町から大島までみずから泳いで渡るということを試みている。過去の事実に無関心であれば、ただ人が泳いでいる映像にしか見えないかもしれない。氏のやり方で「人格ある誰か」に接近していく試みであったのだと想像する。
私の景色を一変させたのは、氏の言葉をかりれば「人格ある誰か」の存在だったのだろうか。
(たにがま ちひろ・親鸞仏教センター研究員)
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