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ブックレビュー(書評)
2018年1月
大澤絢子監修・解説『親鸞文学全集〈大正編〉』
第1巻 石丸 梧平 著『人間親鸞』
第2巻 石丸 梧平 著『受難の親鸞』
[同朋舎新社、2017年]

 大澤絢子氏は大正期に多く刊行された「人間親鸞」の小説群を分析され、大衆メディアにおいて宗祖がどのように受容されたのかを、宗教社会学的な手法で研究しておられる。親鸞仏教センターに嘱託研究員として従事されていた当時の研究成果は、東京工業大学大学院に提出された博士論文「親鸞像の形成と展開過程」(2016年)に結実されている。
 大正期とは、宗祖を一個の「人間」として描出する作品が相次いで刊行された時期であった。ここに着目されるのは、東西の文明における諸宗教を代表する人物が、一種の“理想的人格”として取り上げられていく点である。例えば武者小路実篤(1885年〜1976年)は、イエス(「二八歳の耶蘇」〔『白樺第5巻第2号』1914年1月〕、『耶蘇』〔1920年〕など)、釈尊(「わしも知らない」〔『中央公論第29巻第1号』1914年1月〕、『釈迦と其弟子』〔1924年〕、『釈迦』〔1934年〕など)、孔子(『孔子』〔1941年〕など)について著している。こうしたとき、自身の人道主義を深めるうえで宗教者にたずねるところにも、大正期文学――とりわけ白樺派に代表される大正期教養主義――のひとつの特徴があらわれている。
 このたび、大澤氏の監修により『親鸞文学全集〈大正編〉』が同朋舎新社より刊行されている。『歎異抄』にみえる親鸞とその弟子・唯円とのやり取りについて、その悩み苦しむ在り方を率直に取り上げた倉田百三『出家とその弟子』(1916年、本全集第13巻所収)をはじめ、煩悩を抱えつつ自他の生死を問い続けた「人間」親鸞の作品群を収めている。この度の試みは、そうした「人間」親鸞のドラマが熱狂的に迎えられた「親鸞文学ブーム」を伝えるたいへん喜ばしいものである。そして、親鸞の教えが大正期にいかに広まっていったかを知らしめるのみならず、当時の一般的読者にとって仏教がどれほど求められていたかを明らかにする試みとも考えられる。「親鸞文学ブーム」の時代を見つめ直すことが、21世紀に生きる我々へも考えるヒントを与えてくれるに相違ない。

***

 この『親鸞文学全集〈大正編〉』の幕開けを飾る第1巻・第2巻は、石丸梧平の小説である。第1巻の『人間親鸞』(1922年)は青年期の親鸞を中心に描出し、前出の倉田百三『出家とその弟子』とともに「親鸞文学ブーム」を牽引したもの。第2巻の『受難の親鸞』(1922年)は、流罪までの親鸞の苦難を描いたもので、石丸による親鸞文学を集大成しているといえる。恋情などの煩悩に苦しみ続けながら、叡山の教学にも自足しきれず、修行を通して阿弥陀仏への信仰を渇望する若き親鸞の姿を、石丸はつとめて描き出そうとしている。
 この「親鸞文学ブーム」の特徴のひとつは、旧来の経文や宗門の語りとは異なる新奇な表現や言葉遣いを用いる点にあろう。一例を挙げると、善信(親鸞)とその親友である法善(架空の人物)が次のような“近代的な”用語でやり取りするところはおもしろい。

それを聞くと善信は激していった。「それは遠いともいえるでしょう。仏のまします国は西方十万億土なりと経文に記してあります。しかしその遠い仏は、一瞬間にして私どもの胸のうちへ来られるのです。届かない彼岸ではありません――私どもの信仰は、法善さんと同じように経験的です。単なる空想ではありません」
「経験がどうして信仰を与えるでしょう。経験から生じた智識というものは、そんな超越界の信仰を認めるわけがありません」
「それはあなたが、経験ということを、単なる科学の実験ということにのみ取っておられるからです。どんな複雑な心霊的の認識も、やはり一人の人間の経験です。――あなたは信仰ということを、単に宗教の形而上学的概念で取扱おうとしておられる。信仰とはそんなものではないのです。生ける宗教的事実なのです。私という一人の人間が、ここに阿弥陀仏を信仰している。もしその信仰が方便や虚偽でなくてほんとうの信仰なのは、そこに儼然(げんぜん)たる宗教の存在があるのです」 (石丸梧平『受難の親鸞』/『親鸞文学全集』第2巻、130―131頁)

「経験的」「超越界の信仰」「科学の実験」「心霊的の認識」「宗教の形而上的概念」「生ける宗教的事実」といった表現を駆使し、まるで哲学に傾倒した“近代青年”のごとき親鸞の「像」は、もちろん石丸による創作である。史実とはまた趣きを異にする親鸞の「像」ではあるが、そのほうが当時のインテリ青年達にはかえって親しみやすかったのかもしれない。ともすれば、自分自身と高尚な問答をしてくれているように思われたろうか――想像をかきたてられるところである。
 石丸は、親鸞を仏の「芸術的表現」であると看做(みな)しており、その認識は晩年に到るまで揺るがなかったようである。『人間親鸞』に対して、石川舜台(1842年〜1931年)や前田慧雲(1855年〜1930年)といった仏教学者から「親鸞はそんなおろかものでもなければ、くだらぬ人間でもない」と非難されたものの、「私のあの小説はまづいから、まづいと云う点はどこまでも恐縮ですが、親鸞を芸術的表現せずして、どこに「聖価値」を感じ得るでありましょうか。初めから聖人として――「概念」としての「聖価値」を、如何(いか)に論文口調で縷述(るじゅつ)したところで、それこそはおろかなる企て、人間世界には何の関係もない仕事となり終わったでありましょう」(石丸梧平『禅のある人生』人生創造社、1960年、139‐140頁)と述べている。

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 石丸の『人間親鸞』は約40万部を売り上げ、当時としてはベストセラーとなったと伝えられる。だが、この石丸というひとについては、ほとんど忘れられているというのが実情ではないだろうか。大澤氏が第1巻に付された解説によれば、石丸梧平(1886年〜1969年、本名・五平、号・梅外)は大阪府豊中市に生まれ、旧制茨木中学校を経て早稲田大学国史学科を卒業し、大阪府立今宮中学校の教諭になったという。当時の同僚には、折口信夫(1887年〜1953年)がいた。折口の歩みに触発されたか、石丸もまた教職を辞して上京したのが大正六年(1917年)12月のこと。しかし、小説家としての才能のない自分に悩みだしていた石丸が、さまざまな葛藤を抱えつつ完成させたのが『人間親鸞』であったという。直後に刊行した『受難の親鸞』とともに、石丸は一躍流行作家となった。ただ、この石丸を世間は「何か偉い宗教家と勘違いしたのか」、青年層から悩み相談の手紙が大量に届くようになったという。その対応に追われた石丸は個人雑誌『人生創造』を創刊し、この紙面上で応えることにした。この『人生創造』は47年の間発行され、次第に石丸は「人生創造の哲学者」のようにも看做されていったのである。
 こうした行実は大澤氏の調査によって少しずつ明らかになってきているが、主に禅文化を研究領域とする評者からみると、石丸が親鸞とともに禅に繰り返し言及している点に眼を引かれる。石丸自身、次のような述懐をのこしている。

私が学窓を出て初めて教師に赴任した当時のことです。京都妙心寺(臨済宗総本山)の花園学院ですが、私は、中学部の英語を教へてゐた。【中略】明治四十一年の秋です。 (石丸梧平『禅と人生創造の哲学』人生創造社、1946年、7‐9頁)

「学窓を出た」というのは早稲田大学国史学科を出たあとのこと、そして「花園学院」は現在の花園大学(ないし付属中学校・高校)のことであろう。この述懐が確かならば、石丸のキャリアのはじまりは花園学院であり、明治43年に今宮中学校に赴任したということになる。石丸は当時、英語を教えながら学院生にまじって提唱を聞き出したといい、「私が禅に関心を持ったのは、それが初まりであります」(前掲『禅と人生創造の哲学』、9頁)とも言及している。
 明治大正期の教養人が、宗派にこだわらず真宗や禅に(ある意味純真な興味から)関心を寄せるのは、よくあることである。真宗どころに生まれて親鸞をはじめとした浄土思想を終生課題にし続ける一方、参禅体験を基に独自の禅思想を深めていった西田幾多郎(1870年〜1945年)や鈴木大拙(1870年〜1966年)を想起すれば、明治大正期の近代青年において真宗や禅が、ほとんど知の「空気」として時代を満たしていたことがうかがい知れよう。石丸にもまた、次のような看方もあった。

禅も念仏も、死後の問題ではなく、輝く人生を創造する為めの「日日是好日」その方法論である。生きることに価値を感ぜず、生きる意味を発見し得ない者は、死ぬより外はない。これほどかんたんな極楽の道はないのである。
だが、人生創造にあっては、死は決して軽んじてはならぬ。
(石丸前掲『禅のある人生』、39頁)

禅も浄土も、広い意味では同じく「開悟」であるが、自力門にあってはわが悟が釈迦牟尼仏の境致にまで達することを希うのに反して、他力門特に親鸞にあっては、「吾れは愚である」ことを悟ったのである。【中略】
「親鸞の愚」は、若い生命の「名聞を求め」「食にも性にも貪慾・執着であった自己」に愛憎が尽き果て、あの若さにしてその「愚」を悟ったのだから、凡そわたしの愚とは比べものにならぬ。だが、力尽きた今日の私も、今、尽き果てたわが身の無力を知り得たことだけでもまだ救われたことのありがたさを思う。馬鹿も死ねばなおることは、人生最後の大いなる救いであることを、今にしてしみじみと感ずるのである。
(同前、71‐73頁)

大正期の教養人における「真宗と禅」を広く深く考えていくことは、近代日本文学における「宗教と文学」という大きな問題軸を明かす鍵のひとつである。そして石丸の行実や思索は、その貴重な具体例のひとつであるように思われる。今後の批判的な検討が求められよう。
 さらに言えば、この石丸のような作家の性格には、“宗門と距離を取りつつ、しかし宗教家のように看做される”といったところが見受けられる。大正期の親鸞文学(ないし宗教者を「人間」として描こうとした作家)にそうした性格がどの程度みられるのか、石丸を再発見した大澤氏に是非解明していただきたい点である。そう考えると、大澤氏がこのたび着手された『親鸞文学全集〈大正編〉』は、さまざまな研究領域に大小の「余波」を及ぼす可能性を有していると思われる。

***

 2018年2月には、『親鸞文学全集〈大正編〉』第7巻として石丸梧平の『戯曲 人間親鸞』の刊行が予定されている。その他、随時刊行される「親鸞文学ブーム」の諸相が、本全集によって次々に明かされることを期待したい。

飯島 孝良(親鸞仏教センター嘱託研究員)

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