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研究活動報告
親鸞仏教センター研究交流サロン
 第18回「親鸞仏教センター研究交流サロン」報告(2018年5月15日開催)

  彌永信美氏は、西欧世界と自己を差異化する概念として提示されてきた「東洋」を再考され、日本人が「オリエンタリズム」を「東洋人」である自身の優越性を裏付けるものであるかのように自らに引きつけて語ってもきた、と論じておられる。彌永氏は、そのような歴史について痛みを伴った自己批判が必要であるという。我々の自己意識の根底にある「東洋/西洋」という二分法や差異化の孕(はら)む問題について、彌永氏にご提題いただいた。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良)
テーマ
「オリエンタリズム」再考

発題者 彌永 信美 氏
仏教学者/日仏東洋学会代表幹事

■ 幻想としての「東洋」
 『幻想の東洋』という本を書いた1987年頃は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というスローガンが当たり前のように言われていました。日本の独自性とか東洋的なものの考え方がいかに優れているか、といった言説が世間を席捲(せっけん)していた時代で、ぼくがこういう本を書いたのも、そうした考え方に対する強い反発が背景にあったと思います。要するに、「東洋のすばらしさ」とか、「東洋的神秘」のようなことが称揚(しょうよう)されているけれど、そもそも「東洋」という観念自体が西洋製ではないか、というのが、この本の根本的な主張です。
 この本の副題には、「オリエンタリズムの系譜」という題がつけられていますが、バブルの絶頂期の日本という場面を背景にして書きました。それに対してエドワード・サイードの『オリエンタリズム』は、ヨーロッパのポスト帝国主義の尖兵(せんぺい)としてのイスラエルによる植民政策に苦しむパレスティナを背景にして書かれています。同じ「オリエンタリズム」ということばを使っても、もっていた意味が非常にちがったと思います。

■ オリエンタリズムと権力構造
 最近のとくにアメリカの「東洋」に関する研究書を読むと、多くが、自分の論が「オリエンタリズム」的なものではないことを論証することのために相当のページ数を使っていることに気づきます。なぜ、これほど「オリエンタリスト的」であることを恐れるのか。これが、重大な問題だと思います。これに関連して思うのは、弱者の側に立ってものを考えるということは、人類始まって以来の非常に画期的な新しい思想だったと思います。その背景にあるのは、ある種の左翼的・進歩主義的な実存の態度であり、それは何に関してもきわめて生真面目(きまじめ)にものを考える、という態度と結びついていると思います。こうした態度からものを見れば、物事を茶化したり、皮肉ったりする、例えば日本の狂歌や川柳の世界に顕著であるような態度は、そもそも受け入れがたいものに映るでしょう。
 最近では、ハラスメントが問題になっていますが、これを受けた「被害者」側はそのつど、ある言動や行為を自分は不快に感じるかどうかを自問しなければならないでしょう。また、この問題に関連して、よく聞く言い方に、「私がこうして不快に感じることを見逃していたら、他の女性が同じような目に遭って被害が拡大するだろう、だから自分ではこれまで目をつぶってきたことでも、あえて問題として提起するのが倫理にかなう行為である」という考え方があります。「嫌なことは嫌と言う」というのは大事なことですが、何が本当に嫌なのか、それをどこまで徹底させるか、というのは、実は非常に難しい問題なのではないかと思います。ある程度以上にそれを徹底させれば、さまざまな場面でぎくしゃくとした、生きにくい人間関係が拡がってくるのは避けられないのではないでしょうか。いろいろなことをおおまかにやり過ごしていた前近代の社会が、今より「おおらか」でいい社会だったとは言えませんが、それでは今の社会がより善(よ)いかというと、それもどうも怪しいものだと思います。
 もう一つ、今言ったような、社会全体が生真面目で倫理的であろうとする傾向の一つの結果として、人文科学のいわゆる「言語論的転回」があります。これを歴史学に適用すると、歴史家が生み出す歴史というのは、事実ではなく物語であり、一種の創作なのだ、という考え方が出てきます。これは、歴史家が自分の仕事を自省的に考えれば、当然、出てくる帰結だろうと思いますが、しかし、それを逆手にとると、いわゆる歴史修正主義だけでなく、そもそも事実などどこにもない、物事をどう言うか、どう表現するかということだけが意味がある、という驚くべき主張がまかり通るようになります。事実も真理もどこにもない。だったら好きなことを言おう、自分の利益を最優先しようという、徹底した倫理的ニヒリズムです。つまり、ドナルド・トランプ式の「ポスト・トゥルース」の世界であり、それが通用するなら公文書の改竄(かいざん)も、国会での口から出任せの答弁も、何でもありの世界が生み出されてきます。こうした態度は、不真面目(ふまじめ)で不誠実きわまりないと思いますが、ぼくには、近代主義と反近代主義が「近代」というコインの表裏をなしているのと似たように、ある種の真面目さが、ほとんど不可避的にこうした不真面目さと対になっているような気がして仕方がありません。

■ 近代的二分法の限界−その相対化の必要
 近代という時代の本当に不幸なことは、今、言ったような生真面目さは、一度生み出されてしまったら、それを捨てることがほぼ不可能な、一種の不可逆的な実存の態度だということです。その意味で、差別も、反差別も、また逆差別も、おそらくこれからずっと続くものなのでしょう。われわれにできるのは、そうした態度が必ずしも唯一の社会の在り方ではなく、例えば、宗教のことですら笑い飛ばすような、今から見たら「いい加減」な社会もあり得た、ということを忘れないで、今の社会の在り方を少しでも対象化し、相対化して見つめる目を持ち続けることではないかと思います。

(文責:親鸞仏教センター)

※彌永氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第41号(2019年12月1日発行予定)に掲載予定です。

彌永 信美(いやなが のぶみ)氏
仏教学者/日仏東洋学会代表幹事
 1948年、東京生まれ。 1969年パリ高等学術院歴史文献学部門日本学科中退。フランス語による仏教語彙辞典『法宝義林』の編集に参加。ヨーロッパ精神史、宗教・神秘思想史などについて執筆。ヨーロッパ文化史・宗教史・神秘思想の該博な知見を生かした広範な評論活動を展開中。著書『幻想の東洋―オリエンタリズムの系譜』(青土社、1987年)で、第4 回渋沢・クローデル賞(日仏会館・毎日新聞社共催)を受賞。
 著書に、『ピーターと狼』(公文数学研究センター 1981年)、『幻想の東洋 オリエンタリズムの系譜』(青土社 1987年・新装版 1996年)、『歴史という牢獄 ものたちの空間へ』(青土社 1988年)、『仏教神話学 1 大黒天変相』(法藏館 2002年)、『仏教神話学 2 観音変容譚』(法藏館 2002年)、『幻想の東洋 オリエンタリズムの系譜』(ちくま学芸文庫〔上下〕 2005年)など多数。
 また、親鸞仏教センター情報誌『アンジャリ』第35号(2018年6月1日発行)に「「東洋学」の発展的解体に向けて―「自分史」から回顧しつつ―」をご執筆いただいている。
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