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研究活動報告
『教行信証』真仏土・化身土巻研究会
「生(life)」と「経験」からみた宗教史(前編)




 吉永 進一 氏
 (龍谷大学世界仏教センター客員研究員)

聞き手 長谷川 琢哉(親鸞仏教センター嘱託研究員)
       飯島  孝良(同上)
※収録日時:2018年4月1日(日)

吉永進一(よしなが しんいち)
 1957年生まれ。京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程修了。舞鶴工業高等専門学校教授を経て、現在は龍谷大学世界仏教センター客員研究員、英文論文誌『Japanese Religions』編集長。
 専門は宗教学(ウィリアム・ジェイムズ研究)、近代仏教研究、近代霊性思想史。2007年12月、論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で「湯浅賞」受賞。
 編著に『日本人の身・心・霊―近代民間精神療法叢書』(クレス出版)ほか。共著に『ブッダの変貌―交錯する近代仏教』(法藏館)、『近代仏教スタディーズー仏教からみたもうひとつの近代』(法藏館)ほか。翻訳に『天使辞典』(創元社)、『エリアーデ宗教学の世界―新しいヒューマニズムへの希望』(せりか書房)ほか。

 現在、近代仏教研究という分野に多くの研究者が携わり、歴史学・宗教哲学・社会学・政治学などさまざまな領域を巻き込みながら展開している。その展開は海外の研究者との積極的な交流も伴うものであり、非常に興味深い動きをみせてきている。そのさまざまな運動の淵源をたずねるとき、我々は吉永進一氏の大きな存在感に気づかされる。吉永氏の魅力と求心力の原点がいかなるものなのか、是非うかがってみたい――そうした素朴な関心を胸に、我々は吉永氏の御自宅をお訪ねした。

 吉永氏には、戦後日本の高度経済成長を向こうに置いて「不思議なるもの」への志向を強めた学生時代に端を発し、ウィリアム・ジェイムズから受容した「生(life)」への問い、西田幾多郎の哲学を近代における仏教の変容として捉える可能性、鈴木大拙が今なお世界中の知識人に示しつづける主体的問題とその独自性など、数多くの問題について語って頂いた。
 実に多岐にわたる内容となったため、このインタビューを前後編に分けてお届けする。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良)



長谷川 吉永先生は、われわれが勉強しているような宗教哲学とかとはまた違うやり方で、いろいろなことを研究しておられます。これまでの歩みは一体どういうものだったのかを、改めてお聞きしたいのですが。

吉永 そもそもぼくは理系だったんですが、高校時代は幻想文学が好きだったんです。京大に幻想文学研究会があると知って、京大を選んだのですが、理学部だったし、自分も文学は一生の仕事になると思ってなかったんです。学部時代は、幻想文学研究会の傍ら、UFO超心理研究会なるクラブに入っていました。ただ、怪しげなこと自体よりも、怪しげなことを信じる人に興味があったんですね。それで次第にオカルティズムの歴史研究が好きになったんです。

 結局、理学部は生物学科を出て、文学部に学士入学したんですが、その時、どの学科にするかということで、これもいいかげんなもんで、ラテン語をやらなくていいというのと、知り合いがすでに法学部から学士入学していたという理由でした。まあせめてシャーマニズムの研究とか出来るのかな、と思って宗教学を選んだところ、入ってみると周囲は、全部イマヌエル・カント(Immanuel Kant/1724~1804)やゲオルグ・W・F・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/1770~1831)といった宗教哲学を専攻しているし、先生は鈴木大拙(1870~1966)の禅について語りながら、机をガタガタさせる……。しまったあと思いました。理学部に入ったときも失敗して、宗教学に入ったのも失敗。これでどうしようかなと思ったんですよね。

 さらに紆余曲折あったんですが、なんとか大学院に入って、修士のときにはミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade/1907~1986)を取りあげました。ほんとは西洋のオカルティズムの歴史を研究したいという思いだけは、頭の中にしつこくありました。カール・G・ユング(Carl Gustav Jung/1875~1961)とかエリアーデが1970年代ぐらいに読まれるような時代になったとき、そうしたオカルト的なものへの関心がみられたんです。対象としては、大体ルネサンス期までの錬金術や占星術といったものですね。だからその頃は、表ではウィリアム・ジェイムズ(William James/1842~1910)を研究していることにしていて、裏ではちょっとオカルトの研究をこっそりやっているという、そんな感じでした。

 だから、僕がどうしてもジェイムズが大好きなのは、われわれの「生(life)」というのは訳のわからないものに取り囲まれていて、その訳のわからないものこそ意味をつくり出す源泉であるということが、ジェイムズを始めたときにすぐわかったんですよね。ジェイムズの場合、大切なのは「宗教」ではなくて「生(life)」なんだ、ということなんです。その訳のわからないものというのは、絶望とかもつくり出すかもしれないけれどもね。

 だから、自分自身がもっている問いは、そのメタフィジカルな部分や実存的な部分では、「生」ということなんだろうなと思います。ただ、考えているものはどれも重層的になります。その上で、例えば「宗教」や「文化」という言葉を相対化して比較してみると、ときどき「宗教」という言葉を用いること自体を嫌がっているようにもみられるんですけれどもね。

 そういう作業をすると、「宗教」という言葉自体のもっている文化的なものがひとつわかってきます。だから、「宗教」という言葉だけでは全部を覆いきれない何かに、僕は興味があるということですね。要するに、近代になって宗教という言葉で、オカルト的なものは私事化する。そうして、公共の場は基本的には科学が支配する。近代以降、その公共の場をめぐってさまざまな戦略でせめぎ合って、単純に宗教対科学の単なる激突以上のいくつものグラデーションになっているのではないかと思っています。少なくとも日本の近代を考えると、そんな印象があります。

飯島 吉永先生には、宗教と科学の接着点に対する関心がすごく強くおありなのだろうと感じるんです。21世紀に入って、「宗教と科学のどちらが必要なのか」といった議論は、表になったり裏になったり常に出てくるように思われます。典型的なのは、原発の安全神話や、あるいは生殖に関して子宮をすごく神聖なものと捉える言説や、ありとあらゆる言説が出てきていますね。そういう、一種「宗教」的に振舞っているものやある種オカルト的なものに対して、吉永先生は非常に目を向けられておられると思います。この点はどのように感じておられますか。

吉永 そうですね。科学と宗教という二分法ではなくなり、科学自体も批判にさらされている時代にあって、昔のようにナイーブに真理をめぐっての激突は、まずあり得ないですね。近代化の果てに、今の僕たちもまったくその真理にこだわらないのかといえば、そうでもないんです。そうすると、そもそも公共の場を下支えしている真理や価値観というのはどういうものなのかが問い直されたわけですから、1980年代は転換点だったように思います。

飯島 先生たちの世代は、80年代から90年代においては、おそらく進歩していくということを誰しも共通の前提として認識できていたと思うんです。ところが、今の我々の世代はそうではない。我々が生まれた80年代頃まで信じられてきた公共の場を下支えするもの――真理とか価値観といったもの――を、21世紀に生きている自分たちが己の力で見いだし得るんだろうかという虚無感も、若い世代にはちょっとあると思うんですよ。

吉永 なるほど、そうかもしれませんね。

飯島 バブル崩壊以後、「失われてしまっている」という実感はある。つまり、「真理」なんてことを軽々しく言えない時代だし、科学もそんなに純粋に信じられない時代だし、かといって、90年代のカルトによるテロ行為などを見たら宗教的な言説も公ではあり得ないよね、といった感覚が漂っている。何を自分たちの根っこにするのかということが、そう簡単に想定し得ないようになったんだと思うんです。

 バブル経済のバカ騒ぎのようにして、「世の中、そんな下支えなんか考えなくて、とにかくイケイケドンドンで経済的に発展すればそれでいいんだ」ということなどもっての外ですから、結局「どこにも居場所がないじゃないか」という実感のほうが強いかもしれない。むしろ以前に増して絶望的に、ごく少数のみが稼げて、大多数はそういう自分たちを下支えするものを何も見いだし得ない、どこにも居場所を見いだせないという実感が強いかもしれないですね。

吉永 そうか、僕らの頃はちょうどバブルでしたからね。浮かれたバブルをしり目にして、どんどん好きなことに没頭はできたという時代です。

 僕は理学部でしたから、一方でオウム真理教に行くというのもすごくわかった。京大で「UFO・超心理研究会」というサークルをつくったのは理学部の人間で、メンバーの3分の2は理系でした。

長谷川 当時は共有した問題意識があったのですか。

吉永 SF好きでオカルトを馬鹿にしたがる人たちがいる一方、もう一方ではインドで3カ月放浪して帰ってこないとか、でも対立はしてなくて、まだみんな仲良くしていた。少数であったし、世界観は違うけれども仲良くしようという雰囲気でした。

長谷川 なるほど。何となく趣味としては合致するけれど、モチベーションが違う。

吉永 僕は中学までSF読んで、高校になって幻想文学や怪奇小説が好きでしたね。大学では「幻想文学研究会」に入りました。そこで、C・S・ルイス(C. S. Lewis/1898~1963)やその友人のチャールズ・ウィリアムズ(Charles Williams/1886~1945)を読みだしました。滅茶苦茶難しい英語でちゃんと読めなかったんですが、異常な世界が展開していて、やっぱり小説はすごかったですね。そういう文学のことは全部、2年先輩の横山茂雄君(奈良女子大学教授)に教えてもらいました。

長谷川 吉永先生の場合、最初の頃はそうした読書を重ねるなかで、御自身の宗教研究をだんだん形づくっていかれたのですか。

吉永 そうですね。しかし、京大の宗教学はみな哲学を修めているわけですよ。僕からみれば、哲学を修めているのにみなどうして宗教に結実していったんだということを、逆に聞きたいんですよ。

長谷川 それは面白い。よく、吉永先生のことを謎めいた辺境知識人のように言う人がいて、「吉永さんは、売れるようになったらおしまいだ」と言われていたんですよ。ところが最近は事情がちがっていて、「これはもう世も末だな」と岩田文昭先生(大阪教育大学教授)が仰っていて(笑)。

吉永 俺もそう思う。

長谷川 むしろ、今は吉永先生のようなアプローチにだんだん時代が追い付いてきたというか、われわれがものを考えるときにどうしても吉永先生に吸い寄せられていくところがある。これは何かがあると思うんですよね。

飯島 吉永先生が重視されているような近代以降の宗教的な体験――例えば、参禅したり、「神を見た」と語ったり、オカルティックな体験をするといったもの――は、つい最近まで「主観的なものにすぎない」と断じられて研究対象にならないと言われていたと思うんです。つまり、データで論証しようもなく客観的に共有できないものだから、それは研究ではないとも言われていたのではないでしょうか。しかし、今はそういう認識がだんだん変わってきたからなのか、そういうことこそ研究しようということが出てきているように思うのですが、どういうことが転機になったのでしょうか。

吉永 いや、僕はむしろ逆に、ないはずのものが見えたから宗教が起こってきたわけですし、そうしたものを追及する宗教学が排除されていたようには思わないんですね。ただ、同時代もしくは近い過去におけるそういう経験については、みんなためらいます。ためらうのだけれども、なぜためらっているのかがよくわからない。つまり、ある経験があったという言説が生まれたんだということを、もう一回語りたいだけなんです。そうした営み自体はまったく問題がないはずなのに、なぜかずっとタブー視されていたことが、おかしいんじゃないだろうか。人間が生きていれば経験は何かしらするわけで、その上で言説をつくる。それは、常に直接経験と距離があるからだ――ここまではジェイムズが言ったことですね。

 ですから、近代化というのは脱神秘化であるというようなテーゼがありますけれども、逆に脱神秘化そのものがやはり知識人の神話かもしれない。現代人は諸々が脱神秘化したと安心していますけれども、それは近代化した都市部に限った話かもしれない。それこそ、明治30年代から40年代の都市部なら医師にかかるのは簡単だけれども、同時期の農村部や山間部ならば医師そのものが近くにいないわけで、ならばやはり修験や祈祷を頼んだのではないでしょうか? 近代においても、同じ時代空間の中にあっても、ひとつの公共空間を共有してというよりもむしろ層を成していたのではないかと。

長谷川 なるほど。

(次ページへ続く)

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