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研究活動報告
聖典の試訳:『歎異抄』研究会
 『歎異抄』は、しばしば自己を卑下したような表現をとる。例えば、「われらがごとく下根(げこん)の凡夫、一文不通(いちもん ふつう)のもの」が、それである。試訳では「私たちのような、自らの力では仏に成(な)れない、愚かな、そして文字ひとつの意味も領解できないもの」とした(前号・第14号)。ただ、この表現は誤解を受けやすい。人間が相対的な価値観をもとにして、卑下や謙遜をしているように読めるからである。  しかし、『歎異抄』は、人間が自らのこころを反省して、「愚か」と言っているわけではない。もし人間が自己自身を対象化して、「愚か」と表現するのであれば、仏は不要となる。仏の真実が基準ではなく、人間の相対的な価値観を基準とすれば、もはや仏教ではない。そこで、『歎異抄』は自己のこころを基準にし、仏をないがしろにしている罪を教えるために、「下根の凡夫」と表現するのである。(武田定光)
『歎異抄』試訳 <第十二条> その3 >> PDF版はこちら
原文
 故聖人のおおせには、「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏ときおかせたまいたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられそうろう。しかれば往生はいよいよ一定(いちじょう)とおもいたまうべきなり。
現代語訳
 いまは亡き親鸞聖人のお言葉には、「この教えを信ずるひともあるし、また謗(そし)るひともあるだろう、と仏陀が説いておられる。私はすでに信じているし、他のひとが謗ることもある。それだからこそ仏説は真実だと身に受け止められる。これによって、本願の救いはますます必然的だと思われるのである。
 あやまって、そしるひとのそうらわざらんにこそ、いかに信ずるひとはあれども、そしるひとのなきやらんとも、おぼえそうらいぬべけれ。かくもうせばとて、かならずひとにそしられんとにはあらず。仏(ぶつ)の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひとのうたがいをあらせじと、ときおかせたまうことをもうすなり」とこそそうらいしか。  いまの世には学文(がくもん)して、ひとのそしりをやめ、ひとえに論義問答むねとせんとかまえられそうろうにや。
 もし、教えを謗るひとがいなかったら、どうして信ずるひとがいるのに、謗るひとがいないのだろうかといぶかしく思えてしまうだろう。このように言うからといって、必ずしもひとに非難されようということではない。仏陀が、信ずるものもあれば謗るものもあるに違いないと、かねてから見通されて、人々の疑いが決して起こらないようにと願われて説かれたことをいうのである」と言われている。
 いまの世には学文(がくもん)して、ひとのそしりをやめ、ひとえに論義問答むねとせんとかまえられそうろうにや。
 ところが、このごろでは、学問をすることによってひとの口を塞(ふさ)ぎ、もっぱら論争や問答こそが大事なのだと身構えておられるのであろうか。
 学問せば、いよいよ如来(にょらい)の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知(ぞんじ)して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢(じょうえ)なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生(がくしょう)のかいにてもそうらわめ。
 学問をするならば、ますます阿弥陀如来の本当のおこころを知り、また、如来の悲願の広大さをも了解して、「自分のように浅ましく、愚かなものは往生できるだろうか」と不安になっているひとにも、阿弥陀如来の本願は、善・悪・浄・穢という人間の価値基準をまったく問題にしないのだということを、腑(ふ)に落ちるように説明することができれば、それこそが本願を学ぶ者の本当の意義ではないであろうか。
 たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどといいおどさるること、法(ほう)の魔障(ましょう)なり、仏の怨敵(おんてき)なり。
 たまたまのご縁で、無心に、阿弥陀如来の本願にかなって念仏に生きているひとに向かって、「学問をしてこそ、往生は決定するのだ」と言って脅(おど)かすことは、まさに仏法を妨げる魔ものであり、仏陀に対する怨敵である。
 みずから他力の信心かくるのみならず、あやまって、他をまよわさんとす。つつしんでおそるべし、先師の御こころにそむくことを。かねてあわれむべし、弥陀(みだ)の本願にあらざることをと云々
 それは、自分自身に他力の信心が欠けているばかりでなく、他人をも迷わせてしまうことである。それこそ、謹んでおそれるべきである。先師・親鸞聖人のおこころに背いていることを、また、かさねて悲しむべきである。弥陀の本願ではないことを。
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した)
(訳・語註:親鸞仏教センター)
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