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研究活動報告
聖典の試訳:『歎異抄』研究会
 聖典の試訳『歎異抄』研究会では、2005年5月27日、東京大学名誉教授の脇本平也先生をお招きし、「宗教原語を現代語に翻訳する意義と諸問題」というテーマのもとに、われわれの研究活動へのアドバイスをいただいた。ここにその一部を紹介し、報告とする。
宗教原語を現代語に翻訳する意義と諸問題

親鸞仏教センター嘱託研究員 武田 定光
■伝統的文化複合としての宗教
 脇本平也先生は「宗教は文化複合」だと押さえられ、
 教えとか思想は、それだけが独立してあるわけではなくて、その背後には「儀礼」というものがあります。儀礼という言葉にも、広い意味が含まれるわけです。子どものときに仏さまの花の水をかえて手が冷たかったということも、もちろん入るわけです。それから、お勤(つと)め(勤行(ごんぎょう))をするということもあります。さらに、自分の肉体や精神を鍛え上げていく修行もある。そのなかに坐禅もあれば、念仏を称(とな)えるのもあります。もう一つ、「教団」ということもあります。組織的社会集団の側面です。儀礼や修行をやっていく仲間があって、お互いが切磋琢磨するとか、お互いが批判し合うということをとおして、教えが伝わるということもあります。
 宗教学では、「宗教を成立させている構成的なエレメント(要素)は何か」ということを問題にしたりします。そういう要素が非常に複雑に絡み合った相関関係のなかで、思想とか教えというものも形成され、展開もしていくわけです。
と述べられている。
■記述言語と表現言語
 さらにキリスト教神学者の八木誠一氏の論文(曹洞宗総合研究センター宗学研究部門発行『宗学と現代』第6号)から、「記述言語と表現言語」の違いについて語られた。
 「記述言語」というのは、客観的に事実を記述していく科学の言葉のようなものを言います。「表現言語」というのは、心のなかの出来事を表現するものです。文学とか小説、詩、民話、神話、あるいは宗教において使われるものです。ですから、科学の言葉は記述言語であり、宗教の言葉は表現言語だと区別されます。
 さらに、脇本先生独自の三つの類型を提示され、
 宗教学の立場から、霊系(霊の存在を前提とする宗教観)・命系(日本古代の宗教観)・理系(記述言語としての宗教観)の比重の割合や軸足はどこにあるか、ということで宗教を見ていくのです。
と押さえられた。つまり、霊系・命系・理系のバランスで宗教は成り立っているというのである。さらに、われわれの研究会への具体的提言もいただいた。
■理性的な翻訳から、感性的な翻訳へ
 現代語に翻訳するという場合、まず目的があります。「誰のためにするのか」「何のためにあるのか」ということです。それについては、すでに本紙『創刊号』(5頁)で、「現代人がたやすく教えの言葉に親しめるために」という目的が掲げられています。そして、「教えの言葉(原典)にふれる契機にしたい」(同頁)と、この二つで問題は要を尽くしていると思います。そのなかでいつも問題になるのは、「誰のためか」ということです。この場合、私どもが本を書いたり、論文を書いたりするときに、出版社の方や編集者からよく注文を受けるのは、「大学の一般教養課程(1、2年生)のレベルのひとを読者として頭に置いて書いてほしい」と言われるわけです。翻訳という場合も、読者として想定されているのは、やはり、大学の一般教養課程のレベルの、現代の若い人びとということになるのではないかと思います。
 ところが、親鸞仏教センターの方たちは、「現代の若いひとたちは、神話というようなものとは無関係である」と考えているのではないでしょうか。神話とは無縁な「科学人」とか「哲学人」のようなひとたちを、読者として前提してしまっている。そのために、科学の目で見ても納得できるように言葉を変えていこうという方向づけになっているのではないでしょうか。
 本紙の『歎異抄』試訳を眺めてみますと、例えば、「往生」という言葉が、「新しい生活を獲得できる」(第1条・第2号・5頁)とか、「真実の自己になる」(第3条・第5号・5頁)という現代語訳になっています。確かにわかるのですが、果たしてそういう翻訳でよいのだろうかと思います。何か迫力に欠ける感じです。
 「往生」とは、「真実の自己」ということと同時に、やはり「この穢え土どから解放されて浄土に往生する」ことです。浄土とは闇の世界ではなく、光の世界です。荒れ狂う海ではなくて、穏やかで静かで、平和な海です。伽陵頻伽(かりょうびんが)の声が聞こえて、よい香りが漂うという、神話的・感性的な浄土ということも見逃してはならないでしょう。 そういうアーカイック(古風)なイメージは、非常に強い喚起力をもっていて、それが一般の民衆には訴えるわけです。
 確かに合理化し、脱神話化していくという翻訳の努力も大切だけれども、その文化のなかに生きている、言ってみれば深層心理のようなところに潜んだアーケタイパル(原型的)なイメージへ訴えるという方向も頭に入れておいてもいいのではないでしょうか。
と、研究会のあり方についてご提言いただいた。
 共同作業で、翻訳の議論をしているときには、どうしても「理性」偏重になりやすい。つまり、「誰にでもわかりやすい」とか、「理性的に非の打ち所がない」という方向に傾きやすい。もっと感性を解放し、理性のガードを下げていくトレーニングをしなければならないと教えられた。
※脇本平也氏の講義と質疑は、『現代と親鸞』第10号(2006年6月1日号)に掲載予定です。
脇本 平也(わきもと つねや)東京大学名誉教授、国際宗教研究所理事長
1921年、岡山県生まれ。1944年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。立教大学助教授、東京大学助教授を経て、1970年、東京大学教授に就任。1981年、退官。著書に『評伝 清沢満之』(法蔵館)、『宗教学入門』(講談社)、『宗教体験への接近』『宗教思想と言葉』『祀りへのまなざし』(共編著、以上、東京大学出版会)、『死の比較宗教学』(岩波書店)など多数。また、『アンジャリ』第7号(親鸞仏教センター)に「清沢満之の生涯に学ぶ」を執筆いただいている。
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