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研究活動報告
聖典の試訳:『歎異抄』研究会
 「慈悲」を「愛」と翻訳することについては、研究会でもずいぶん議論がなされた。愛は、ラブ・アガペー・エロースの翻訳語でもあり、儒教思想にもある。また、仏教では「我愛・貪愛」と否定的にも表現されるが、「信愛・喜愛」と肯定的な表現もある。その意味で、「愛」は、さまざまな意味の世界を連想させる。
 意味が多重であるということは、概念的には「曖昧」と評価される。しかし、「概念は、明確であっても生命力に欠ける。イメージは、曖昧であるが生命力をもつ」と精神分析家のユングは言っている。「曖昧」であることが、かえって生命力をもつというのである。そこで、ここでは生命力を引き起こすイメージ言語としての「愛」を採用することとなった。(武田定光)
『歎異抄』試訳 <第四条> >> PDF版はこちら
原文
 慈悲(1)(じひ)に聖道・浄土(2)(しょうどう・じょうど)のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。
現代語訳
 愛には、人間の思いを中心とした愛と人間の思いを超えた愛の違いがある。人間の思いを中心とした愛というのは、いのちあるものに同感し同情し、いとおしみ育てることである。しかし、思いどおりに愛を実現し、相手を満たすことは大変難しい。
 浄土(じょうど)の慈悲(じひ)というは、念仏して、いそぎ仏(ぶつ)になりて(3)、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益(りやく)するをいうべきなり。
 人間の思いを超えた愛というのは、「ひとを愛するこころの限界を自覚して、いち早く如来の前にすべてを投げ出すことによって、人間の思いを超えた如来の愛が自由自在に、ひとを救うはたらきをする」というべきである。
 今生(こんじょう)に、いかに、いとおし不便(ふびん)とおもうとも、存知(ぞんじ)のごとくたすけがたければ、この慈悲(じひ)始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々
 今の人生において、どれほどいとおしく、またかわいそうだと思ってみても、人間の思いどおりにはたすけられないのだから、この愛は徹底しないのである。そうであるから、如来の本願にすべてをまかせることだけが、徹底した大いなる愛なのである。
(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した)
語注
(1) 【慈悲】衆生の苦しみを抜き、衆生に楽を与えようというこころ。相手の苦しみや悲しみに同感して、そこから救おうとするこころだから、ここではあえて「愛」と表現した。
(2) 【聖道・浄土】道綽(どうしゃく) (562−645)は、仏教を聖道門・浄土門と分けられた。聖道門は自力・難行道で、この世で悟りを開く道であり、浄土門は他力・易行道といわれ、浄土で仏になる道である。『歎異抄』の文脈では、慈悲の質的違いとその転換としてとらえられている。
(3) 【念仏して、いそぎ仏になりて】本願他力のはたらきで、愚かな凡夫がそのまま仏に成ること。「いそぎ」とは時間概念ではない。絶対矛盾が全肯定されること。
(訳・語註・補注:センター)
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