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HOME > 研究活動報告 > 聖典の試訳:『歎異抄』研究会 |
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『聖典』の試訳(現代語化)では、『歎異抄』第一条の現代語訳を試みた。前号で〈序〉を発表したところ、さまざまな反響をいただいた。試訳という消極的な態度ではなく、親鸞仏教センター版の『歎異抄』として世に問うて欲しいという意見や、本文の現代語訳という補助的な意味合いではなく、「現代の『歎異抄』」として、新しい『歎異抄』を作るつもりで制作して欲しいというご意見もいただいた。 現代語訳をとおして感じたことは、すでに了解済みにしていた教言を、もう一度現代という意味場のなかで了解し直すことの難しさと大切さである。教言の解体と再構築の歩みを通すことで、新たな意味世界の開かれることが願われている。(武田定光) |
『歎異抄』試訳 <第一条> | >> PDF版はこちら |
![]() 弥陀(みだ)の誓願(1)(せいがん)不思議(ふしぎ)にたすけられまいらせて、往生(2)をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨(せつしゆふしや)の利益(3)(りやく)にあずけしめたまうなり。 |
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![]() 人間の思慮(しりよ)を超えた阿弥陀の本願の大いなるはたらきにまるごと救われて、新しい生活を獲得できると自覚して、本願に従おうという心が湧(わ)きおこるとき、迷い多きこの身のままに、阿弥陀の無限なる慈悲(じひ)に包まれて、不動の精神的大地が与えられているのである。 |
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弥陀(みだ)の本願には老少善悪(ろうしようぜんあく)のひと(4)をえらばれず。ただ信心(5)を要(よう)とすとしるべし。 |
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阿弥陀の本願は、人間のいかなる条件によっても分け隔(へだ)てや選びをしない。ただ、如来の本願に目覚(めざ)めるこころひとつが肝心なのである。 |
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そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛(じんじゆうぼんのうしじよう)の衆生(しゆじよう)をたすけんがための願(がん)にてまします。 |
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なぜなら、生活状況にふりまわされて、欲から抜け出せずに悩み苦しんでいる私たちをこそ救おうとする願いだからである。 |
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しかれば本願を信ぜんには、他(た)の善も要(よう)にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀(みだ)の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々 |
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そうであるから、本願の救いに目覚めるならば、どのような善であっても肝心なことではなくなる。それは念仏がどのような善をも超えているからである。また、悪も救いをさまたげると恐れることはない。なぜならば、阿弥陀の本願はどのような悪にもさまたげられないからである。 |
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(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』を参照した) |
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(1) | 【誓願】本願のこと。本願は、「もし衆生がたすからなければ、自分も仏にならない」という誓いである。 | |
(2) | 【往生】我々の実在。本願がはたらく場所が浄土である。その本願の世界に生まれて生きることこそ、実在である。 | |
(3) | 【摂取不捨の利益】一切衆生を包んで捨てない如来の大きな慈悲のはたらきを受けて、不動の精神的安心を得ること。 | |
(4) | 【老少善悪のひと】人間の諸条件による差異(年齢・人種・貧富・能力・性別・経験・善し悪しなど)。 | |
(5) | 【信心】如来の願いに響いた心。 | |
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(訳・語註・補注:センター) |
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