親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 研究活動報告 > 現代と親鸞の研究会
研究活動報告
現代と親鸞の研究会
 フョードル・ドストエフスキイ(1821〜1881)が見いだした人間イエスとは、苦難の生を強いられる人々の絶望を新たに立ち上がらせる神の愛を伝える存在としてであった。世の不条理を乗り越える人間の信はいかに成り立ちうるかを問うその作品世界、そして聖書世界がその根柢を成す構造について、芦川進一氏にご提示いただいた。ここに、第55回「現代と親鸞の研究会」(2017年3 月31日)の極一部を報告する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良)
ドストエフスキイ、イエス像探求の足跡
―ユダ的人間論とキリスト論―


ドストエフスキイ研究者、河合塾英語科講師、
河合文化教育研究所研究員
芦川 進一氏

■ イエス像の構成、「ユダ的人間論」と「キリスト論」
 ドストエフスキイ世界とは、「神と不死」の問題を「ロシアの小僧っ子」たちが正面から追求する世界であり、また彼が土台とする新約聖書の世界とは、「神と不死」をイエスという存在の生と死のなかに求める世界であり、その中心にあるのはイエスの十字架と言えるでしょう。
 聖書世界との取り組みが私に教えてくれたことは、四つの福音書(ふくいんしょ)の記者も、それらと取り組む聖書学者も、まずは各自が自らの眼と頭で自分自身のイエス像を構成しようとしているということであり、ドストエフスキイもまた自らと時代が抱える問題を解くべく、自らの眼と頭で聖書と取り組み、イエスと格闘した人だということでした。
 これら両世界に通底するのはイエス像の構成であり、更にこれは「ユダ的人間論」と「キリスト論」という二つの視点に煮詰められるでしょう。「ユダ的人間論」とは、師イエスを裏切り十字架上の死に追いやってしまった弟子たちに眼を向け、その罪意識の帰趨(きすう)をありのままにとらえることで、人間の内に潜む根源的な悪魔性、つまり「聖なるもの」を否定し抹殺し去ろうとする心の闇に眼を向け、そこから人間と神とキリストについて広く考えてゆこうとする立場です。一方「キリスト論」とは、十字架上の死に追いやられたイエスの復活、彼が死を超えた「永遠の生命」を与えられた出来事に決定的な意味を見いだし、そこからあらためてイエス・キリストを介した神による人間救済の経綸(けいりん)、神の愛と恵みと栄光に眼を向け、人間と神とキリストについて広く考えてゆこうとする立場です。これら二つがドストエフスキイ世界と新約世界の根底をなす両極であり、これらを踏まえることで、複雑な両世界の大きな筋道が見えてくるように思われます。これを『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』で確認してみましょう。

■ ソーニャのイエス像
 『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、権力者たちの恣意(しい)のままに翻弄(ほんろう)される世界を凝視し、では自らはその「力」の主体であるのか否か、「ナポレオン」であるのか否かを知ろうと、血の「一線の踏み越え」を試みる青年です。またマルメラードフは、自らの飲酒癖が追い込んだ家族の貧困地獄のなかでなお、売春婦となった娘ソーニャに酒代をせびりに行くというこの上ない卑劣漢(ひれつかん)です。
「行き場のない」地獄に追い込まれた主人公たち。それでもなお彼らは救われうるのか。この問題を追及するドストエフスキイが、ソーニャを介して彼等に触れさせるのがヨハネ伝十一章の「ラザロの復活」ですが、彼がこの聖書テーマを小説世界で現実化させる方法(リアリズム)は独自なものです。
 マルメラードフが轢死(れきし)したとき、偶然居合わせたラスコーリニコフはわれを忘れてその世話をし、果てになけなしの金すべてを家族に残して去ります。翌日、その礼に青年の住まいを訪れたソーニャは、それが屋根裏のぼろ部屋であり、彼自身が貧困の極にあることを知ります。「あなたは昨日、私たちにすべてを与えてくださったのですね!」。この感動が主人公の復活に連なる最初の曙光(しょこう)です。ソーニャ自身が、家族のために「すべてを与えた」娘であり、またその彼女が見つめるのが、苦しむ人々に「すべてを与えて」十字架についたイエスなのです。聖書を基に何重にも「すべてを与える」というキー・モチーフが積み上げられ、その根底にあるのが先の「キリスト論」と言えるでしょう。

■ イワンのイエス像
 『カラマーゾフの兄弟』のイワンを通して浮かび上がってくるのは、「キリスト論」に加えて強烈な「ユダ的人間論」です。西欧近代の合理精神を深く身につけたイワンが凝視する世界とは、罪なき幼な子の涙が満ちる世界であり、彼は怒りと悲しみと共にこの不条理の世界に「神」も「不死」もありえないと結論します。イワンの前に広がる荒涼殺伐(こうりょうさつばつ)たる世界。ここで彼が出会うのが、神を愛として捉え、あるいは神の愛に捕らえられ、その愛を十字架に至るまで貫いたイエスです。このイエスに感動したイワンは、ほとんど「ホザナ!」を叫ばんばかりとなります。ところがこの青年がその先、内なる悪魔(ユダ)と共に自らを導くのがイエスと「キリストの愛」の否定であり、さらに「一切が許されている」とする人神思想です。『カラマーゾフの兄弟』とは、イワンのこの「キリスト論」と「ユダ的人間論」の葛藤(かっとう)が、究極どこに行き着くかの追求を太い縦糸として展開します。そしてそこに繰り広げられるのが「神殺し」と重ねられた「父親殺し」と「兄弟殺し」のドラマ、ラスコーリニコフの斧(おの)に代わって聖書を手にしたイワンの罪と罰、死と復活のドラマなのです。
 ドストエフスキイ文学の世界とは、「ユダ的人間論」と「キリスト論」を根底に置く世界ですが、これは罪悪深重の人間と阿弥陀仏による救済を両極とする親鸞世界とそのまま重なる世界と思われます。親鸞聖人とドストエフスキイ。これら二つの世界を踏まえた思索が、この日本で開始されることを切に期待したいと思います。
(文責:親鸞仏教センター)

芦川氏の問題提起と質疑は、『現代と親鸞』第37号(2018年6 月1 日号)に掲載予定です。

芦川 進一(あしかわ しんいち)氏
ドストエフスキイ研究者、河合塾英語科講師、河合文化教育研究所研究員
 1947年、静岡県生まれ。東京外国語大学外国語学部仏語学科卒、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(比較文学比較文化)。津田塾大学講師などを経て、現在、河合文化教育研究所研究員及び河合塾英語科講師。専門はドストエフスキイにおけるキリスト教思想。
 著書に、『ゴルゴダへの道――ドストエフスキイと十人の日本人――』(新教出版社、2011年)、『カラマーゾフの兄弟論――砕かれし魂の記録――』(河合文化教育研究所、2016年)その他。
 論文に、「虚無としての腐臭」〔『キリスト教文学研究第23号』(2006年)所収〕、「イワンとアリョーシャの聖書――モスク時代、イエス像構成の一断面――」〔早稲田大学ロシア文学会2014年度秋季特別講演会(2014年12月20日)〕その他。
 また、『アンジャリ』第33号(親鸞仏教センター)に「ドストエフスキイのイエス像」を執筆いただいている。
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会 「『教行信証』と善導」研究会
『西方指南抄』研究会親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス