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研究活動報告
公開講座 親鸞思想の解明
 連続講座「親鸞思想の解明」は、「浄土を求めさせたもの―『大無量寿経』を読む―」の第111回と112回がビジョンセンター東京(八重洲南口)で行われ、111回では「横(よこさま)に五悪趣を截(き)り」等について、112回では「銭財(せんざい)を憂う」等について、センター所長・本多弘之が問題提起をし、有識者と一般参加者の方々との間で活発な質疑応答がなされた。ここでは、先に行われた第109回から一部を紹介する。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 越部 良一)
「浄土を求めさせたもの─『大無量寿経』を読む─」45

人間に死ぬということ

親鸞仏教センター所長 本多 弘之
■ 人間に死んで本願力に甦(よみがえ)る
 私は本当にびっくりする言葉に出遇(あ)ったのですけれど、それは安田理深先生が亡くなる前に、福井のほうで、門徒で熱心な農家の家とかで講義をしておられたのですけれど、その時に語っておられる言葉の中に、浄土の功徳に遇うということは、それは死んでから遇うのではないのだと。凡夫であるところに、浄土の功徳に遇えるのだと。だから、親鸞聖人は、『入出二門偈』で、「凡愚(ぼんぐ)遇(もうお)うて空(むな)しく過ぐる者なし」(『真宗聖典』461頁、東本願寺出版)と、凡愚が不虚作住持功徳(ふこさじゅうじくどく)に遇うのだと書いておられる。本願力に遇うことができるということが、人間の最後なのだと。そういう意味を与えられるのだと。浄土に生まれるということは、人間が死ぬことである。浄土に生まれることによって新しい命が与えられる。それはどこで起こるかというと、「信の一念」である。信の一念において、人間に死ぬ。そして阿弥陀の力に甦(よみがえ)るのだと。こういうことを安田先生はおっしゃっているのです。それが『無量寿経』が語ろうとする往生なのだと。
 往生するということは死ぬことだと、一旦はそう言いながら、死ぬことというのは人間に死ぬことだと。そして本願力に甦る。本願力に遇うということは、人間の終わりなのだと。これが本当にいただけるということが、信心を得るということなのだと。
 なるほどなあと。人間に死ぬことなのだ。人間に諦(あきら)めがつかないで我々はうろうろしている。諦めがつかないものだから本願力に帰することができない。人間の努力で何とかなるのではないかと、いつまででも思い続ける。そうすると、死んでからでしか往けないということになるわけです。死んでからでしか往けないと考えてしまうのは、本願力を信じてない証拠なのだと。自力で往生できることもある。でも自力で往生できるのは、方便化身土である。自力が残っていては死んだことにならない。だから、身が死んだ時に、初めて方便化身土に往ける。
 そういう往生が本願の目的ではない。本願が目的とするのは、凡夫である。凡夫に浄土の功徳を与えたい。そういうことが『無量寿経』が語ろうとする「南無阿弥陀仏」なのだと。それに出遇ったのが親鸞聖人である。こういうふうに語ってくださっているのです。すごい講義だと思います。なかなかそこまで読み込むことは容易なことではない。
■ 南無阿弥陀仏で人間の終わりに出遇う
 あたかも金銀財宝があるが如き場所が浄土ですよと。浄土を荘厳するというのは、そういう形で、この世に似せて語るわけです。しかし、この世のようにあるわけではない。でも、その限界を凡夫はよくわからない。この世のようにあるのだと思って欲望につかれて往けるかと思う。金銀財宝が山のようにありますよと。ああ、そうか、そういう場所かと、単純にそう思って浄土に往きたいと思っても、浄土に往きたい心が欲ですから、単なる欲では往けないよと言われてしまうわけです。本当の純粋な清浄な意欲に触れて初めて往くことができる。凡夫のままでは浄土には触れられない。だから安田先生が言うように、人間の最後だと。人間の最後に触れて、人間に死んで、初めて生まれることができるのが浄土だと。でも、人間に死ぬということは、凡夫に死ぬということなのだと。凡夫の終わりが信の一念だと。だから本願力に触れた途端に人間の意味が変えられる。そういうことに出遇うのが「南無阿弥陀仏」なのだと。南無阿弥陀仏で人間の終わりに出遇う。こういうふうにいただくわけです。だからどれだけ煩悩があろうと、その煩悩をさまたげとしない。その煩悩に死ぬのだと。そういうことが起こるのが南無阿弥陀仏なのだと。
 他方仏土の菩薩、他方国土の衆生であっても、我が光があたったならば、どのような衆生であろうとも我が力を与えようと。こういう誓いが四十八願の中に繰り返して出てくるわけです。そういう形で、浄土に生まれたらいただける功徳と思っていたら、何のことはない。穢土(えど)に居ても浄土の功徳が来る。浄土の功徳に触れる、阿弥陀の大悲の光に触れるのだと。我々がどれだけ暗い心でいようと、心が晴れるのだと。自分は力は足りない、体力も足りない、だからだめだというふうに考えて落ち込んでいる人間に、「そうではないのだよ」と。どれだけお前に力が足りなくてもわしが助けてやるのだと。こういう大悲が来る。「南無阿弥陀仏」といただくところに、大きなはたらきが感じられて、このままで人生を尽くしていけるのだと、無駄なものはないのだと、そういう眼が開けるのだと言うのです。
(文責:親鸞仏教センター)
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