親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 出版物紹介 > 親鸞仏教センター通信
出版物紹介
機関紙 親鸞仏教センター通信
親鸞仏教センター通信
第71号 December 2019
>> PDF版はこちら
「信」をかえりみる――難波大助の問い

親鸞仏教センター研究員 東 真行
 ときに思いめぐらす問いがある。1923年12月27日、当時皇太子であった昭和天皇を狙撃した、難波大助(1899 - 1924)の問いである。その問いは、楢橋渡が回想録『人間の反逆』(芝園書房、1960)に記すものであり、そのまま事実であるかは定かではない。しかし「信」を思うとき、その問いは私に突きつけられる。

 裁判での出来事である。裁判長は難波の父が書いた手紙を涙ながらに読み聞かせた。情感に襲われた難波は「ああ、今少しく親のことを考えたら、このような行動はなさざりしものを」と嘆く。しかし、その直後「今申し述べたことは全部取り消します」と述べて、裁判長ならびに検事に三つのことを問いたいと切り出す。「まず尋ねたいことは、裁判長も検事も天皇に対しておそれおおい、おそれおおいとまるで天皇を神のように言うが、ほんとうに天皇は神のようにおそれおおいのか。私にはその気持ちが湧いて来ない。ほんとうにそういう気持ちが湧くのか、それを心から尋ねたい」。裁判長も検事も黙して答えない。「しからば、天皇は神ではないが、国家生活を営むうえでの扇の要かなめのごときものとして、その存在を尊敬し、肯定しているのか」。この問いに答える者もない。「ならば、刑法上の不敬罪など、恐るべき刑罰の威力に屈して、そのような態度をとっているのか」。

  法廷は陰鬱な沈黙におおわれた。その沈黙を破ったのも難波である。「われ遂に勝てり。君らが答え得ないところに自己欺瞞がある。君らは卑怯者だ。私は真実に生きる喜びを実証した。われを絞首刑にせよ」。判決から2 日後の1924年11月15日、死刑が執行された。

 私はここで天皇制の是非を問いたいのではなく、まして難波を称讃したいのでもない。難波のいう勝利とは、真実に生きる喜びとは何なのか。疑問は多く残るが、さきに述べたように「信」をかえりみるとき、この問いは重要な意をもつのではないか。

 第一の問いがすべてのはじまりである。すなわち、なぜ○○はおそれおおいのかという問いである。ここでは畏敬の根拠が問われている。仏教において「信」の根拠は、釈尊に求められる。だから、仏教徒においては「仏」が、そこに問われるべきである。成仏した釈尊への無限の尊敬が仏教を、そして教団を支えてきた。確かに「おそれおおい」ことである。しかし、ゴータマは何をもって仏として仰がれるのか。ゴータマが仏陀となったという一大事をどう捉えるのか。

 親鸞は阿弥陀仏を説きたまえる釈尊を拝した。「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず」(『歎異抄』)。私はどうだろうか。仏を仰ぐのは、日本社会にとって有益であるから、あるいは何らかの罪責をおそれているからなのか。私は何に手を合わせているのか。

 何の強制でもない、自由な選びとしての「信」を思うとき、難波大助の問いが私の躓きの石となる。
ご購入・購読のご案内
Backnember ページトップへ
アンジャリ親鸞仏教センター通信現代と親鸞『教行信証』研究検証プロジェクト真宗聖典
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス