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濁浪清風
意欲の異質性を自覚せよ、と。――願のままに成就しているとは(4)

  因の願が、願であるままにすでに成就していると教えられる。これが我らの常識にとっては、実に考えにくい。願いであるかぎり、成就へ向かっている状態であろうし、成就したのであるならば、願いは消えるはずだからである。しかし、大乗仏教はこのような矛盾すること、願のままにすでに成就していることを、矛盾ではないと表現するのである。こういう矛盾する例の代表的なものに、色即是空・空即是色がある。形あるものが、そのままに形なきものである、と。

  このような表現は、我々の発想が言葉にとらわれ、表現を実体的に執着して考えてしまうことを破ろうとしている。たとえば道元は、川が流れるにあらず、岸が流れるとか、水で顔を洗うにあらず、顔で水を洗う、などと言う。我らの自己中心の発想を相対化して、逆の立場からの見方を獲得するべく教えるのである。それにしても、願のままにすでに成就しているとは、どういうことなのか。

  我ら凡夫は、生存情況の苦境をどうにかして突破しようと悪戦苦闘して生きている。もし、生死即涅槃という大乗仏教の標識が、その生存の苦境がそのままで、すでに救済は成り立っていると主張するのであるなら、それは無責任きわまりないということになる。

  ここに、現実の苦境を解決しようとする課題と、それを宗教的視点から見直して解決する課題とに関する大問題がある。現実の苦境とは、相対有限の存在が煩悩まみれの視野を立場として、お互いに自己中心の不平不満を感じている情況なのではないか。その立場からは、自己が背負っている苦悩は、次から次に襲いかかってくることになる。人間の歴史は、そういう情況存在の悪戦苦闘の経過だったとも言えよう。

   生存とは、そもそも各個が一個の身体を与えられるところに始まる。そこに必ず身体に関わる諸条件と歴史や社会などの諸条件の限定があり、境遇が規定されてくる。その上、個人の能力や機能の程度など、自分ではそれをどうにもしてみようもない限定を受けてくるのである。そこに、生存情況の苦境が起こってくるので、各個にとっては、不条理としか思えない事態が現象することになる。

   もちろん、その条件の中には、因縁の改変や努力次第で、変わりうるものもある。その場合は、有限な諸条件の変更に依る苦悩の解決を求めることになる。しかし、存在が有限であるかぎり、そしてその有限を取り巻く大自然の摂理などには、人間の有限性を超えているところがある。寿命とか運命的な出遇いや別れとか、そのほか無数の場合がありえよう。

   それにどのように対応すべきかに関わるのが、宗教独自の問題なのであると思う。(続) (2019年12月)

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