親鸞仏教センター

親鸞仏教センター

The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

浄土双六とのご縁をいただいて

shinran-bc

臨済宗妙心寺派 陽岳寺住職・クリエイター

向井 真人

(MUKAI Mahito)

 平成27(2015)年より毎年1作品以上、お寺や仏教をテーマにしたカードゲームやボードゲームを製作している。またお寺の本堂で市販のカードゲームやボードゲーム、けん玉などで遊ぶ会を開催している。おもちゃで遊ぶ会ではあるが、実際には遊ばずにお茶を飲みに来るだけでも良く、遊ぶことを主題にすることで気兼ねなくお入りいただけるような手立てである。そもそもの発端は、聖書のカードゲームを初めに知り、ついで浄土双六というものとの出会いをいただいたことである。


 双六と聞くと、どのような形を頭に思い浮かべるだろうか。スタートとゴールが設定されており、途中に分かれ道がありつつも一本道。サイコロなどを使い推進力を得て、自分の分身であるコマが道を進み、上がることを目指す。ゴールへと一路邁進する双六のはじまりは出世双六と言われる。まるで出世街道を突き進むかのようだからだ。そんな出世双六よりも前には、飛び双六という種類があった。自分の分身であるコマがマス目を飛んで移動するため飛び双六といい、浄土双六もそれである。ふりだしが人間、サイコロを振って、地獄に落ちたり、餓鬼・畜生を転々としたりしながら、修行の道を進んで、成仏を目指すのだ。ゴールが仏のいらっしゃる国土、すなわち浄土であるため、浄土双六と呼ばれている。

 

 浄土双六の前身として証果増進之図(仏法双六)があり、そこからさまざまな亜種が生まれ、今では日本全国の美術館や博物館に所蔵されている。ここでは東京国立博物館所蔵の『双六類聚(すごろくるいじゅ)』にある彩色された浄土双六について取り上げる。その中身を見ると、縦長の紙に、碁盤の目のような縦横並行の規則正しい線が引かれている。区分けされた箇所が双六のマス目で、須弥山世界観が振り分けられている。約100あるマス目には、仏教語、仏教語に関連した絵、そしてサイコロの出目による移動先が記載されている。遊び方はもともと口伝であったが、後の世には双六の紙自体に記載されたり、別紙が用意されたりしたようだ。

 

 浄土双六は、マス目が仏教の世界観から妖怪や高僧に取って代わられたり、あるいは仏教とは関係のないテーマの飛び双六が流行していったりする中で、姿を消してしまう。いまでは仏教関連の展覧会の展示品として見ることはできるが、浄土双六は歴史の遺物として認定され、遊ばれなくなってしまったのだ。しかし近年、様々な取り組みがなされている。お寺で遊ぶ会を催したり、現代語訳・海外対応版が製作されたりしている。拙作『浄土双六ペーパークラフト』では、マス目の用語解説集をつけて、須弥山世界観を模したペーパークラフト上で遊ぶことができるようにした。

 浄土双六の中身を見れば、仏教に精通している者が製作しているであろうことは推察される。江戸時代以前にそのような人物がいたことに驚かされる。しかも、浄土双六は見るだけで学びを得られ、遊んでも学びを得られるように作られているのだ。見て得られる学びとしては、マス目の配置がある。ふりだしは南閻浮州であり、世界の中心軸である須弥山の南方にある、人の住む島だ。経典に書かれている内容を見れば、その島の下部に地獄があるとされ、浄土双六でも南閻浮州の下部一列全てが地獄となっている。また、南閻浮州周辺や海に様々な生き方が散らばっているとされ、畜生・修羅・魚類・鳥類・虫類や天竜八部衆などのマス目の配置もそのようになっている。南閻浮州上部には須弥山内の天があり、欲界・色界・無色界へと天が上位になるにつれて、双六の上位にマス目として配置される。無色界の天のマス目は名前だけが書かれており、物質的なものからも欲望からも離れている無色界であるからこそ絵は描かれていない。須弥山世界観をマス目の配置や表記にしっかり落とし込んでいる。また、ゴールである仏のマス目のような箇所はあるのだが、実際にはゴールである仏のマス目は盤上に存在しない。なぜなら浄土双六の盤上とは三界、すなわち迷いの世界であり、そこから解脱しているのが仏であるからだ。

 

 実際に遊んでみると分かるのだが、自身の分身であるコマの移動が大変である。各マス目には、そのマス目でサイコロを振った結果なんの目が出たらどこへ飛ぶかが書いてある。指定先のマス目がどこにあるか探すことは難しく、慣れてきても動かすには苦労するのだ。コマが飛び回っている様子とは生まれ変わり死に変わりする輪廻の苦しみのダイナミックさ、はたまた生きている時のこころの変わり様である、と表現できるかもしれない。どちらにしても、ままならなさに振り回されている私たちの現実の在り様だと実感できる。各マス目の飛び先については適当に配置されているのではなく、経典や説話集など出典があるようだと分かる。たとえば、無色界のマス目。得意の絶頂にいることを表す有頂天とは本来仏教語であり、無色界の最上の天のことである。そんな有頂天の無色界のマス目には地獄の列へと移動する可能性が含まれている。

 

 広辞苑第五版「遊ぶ」欄を見ると、日常的な生活から心身を解放し別天地に身をゆだねる意、とある。真剣に遊びと向き合っている時は無我夢中になり、遊びへ引き込まれているように思う。そんな中ふと我に返ると文字通り「この私」に立ち戻る。ずいぶん夢中で遊んでいたな、と先ほどまでの自分の姿を客観視することとなる。遊びの良さはここにある。遊びとは日常の中の出来事ではありつつも、そんな日常やこの私自身を離れた場所から観察する視点を提供してくれるのだ。遊びは、気持ちの余裕・ゆとりや、ギチギチとした日常のすきまになってくれる。外からの視点を持ってきてくれる貴重な存在なのだ。

 

 私たち人間は必死に毎日を生きている。必死に生きているからこそ、この日常から離れることを自分で自分に許さない。そんな自縄自縛を解き放つためには、外からの視点を持ってくることだ。仏教で言えば、三界から離れた仏を礼拝したり念じたりすること、先に逝った親しい人々にお参りすることで完遂されるだろう。遊びは非日常を作り出し、自身を俯瞰して見ることを可能にする。時間や場所を区切って遊ぶことで、自分と向き合いやすくなるだろう。その点、浄土双六のような仏教を楽しく学びながらできる遊びは、ままならなさに振り回されている自身の姿、自分とは何者なのか、仏教と遊びの相乗効果でより俯瞰視することができる。出世間の僧侶や仏教とは社会から離れた視点を与えてくれる存在であり、「遊び」との親和性も高い。「遊び」にはとても大きな力があると私自身感じている。

(むかい まひと・臨済宗妙心寺派 陽岳寺住職、クリエイター)

 自坊でようがくじ「不二の会」を立ち上げ、坐禅会・ヨガ・ゲーム部・お茶の会などを企画開催。

 2015年からは「御朱印あつめ」「檀家-DANKA-」「浄土双六ペーパークラフト」「おえかきネハンズ」などのお寺系ボードゲームを製作している。

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第247回「存在の故郷」②

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

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 故郷という言葉が迫力をもって訴えてくるのは、異郷に居て孤独の寂しさを感じるときであろう。異郷では、自己の存在を暖かく見つめる親兄弟や友人も居ないし、自己の感情を言葉で表現するときも方言や母国語が通じなかったりする。そういった言葉の違いは特に強く異郷にあることを意識させる。感情を表現しても理解されないと感じてしまい、孤独感を増幅させるのだと思う。

 

 このような感覚や情景を内包する「故郷」ということに関連して、仏教が「正覚」という言葉で示している「大涅槃」のあり方を「存在の故郷」(安田理深)として考察してみようと思う。この「存在の故郷」という言葉は、人間存在の在処を迷いの境界であると教え、そのあり方に目覚めさせて覚醒へと歩ませる要求を、望郷の情念に託して「願生浄土」の要求として表現した「帰去来(いざいなん)、魔郷には停(とど)まるべからず」(『真宗聖典』284頁)という善導の『観無量寿経疏』「定善義」の言葉に依っている。浄土とは、大涅槃を仏の本願によって象徴的に表現したものであり、衆生を大涅槃へと誘う教えの言葉であるからである。

 

 今、「願生浄土」の意味を「存在の故郷」という言葉を通して考察しようとしているのだが、「存在」ということを仏教ではどう考えているのであろうか。現代語で「存在」という言葉は、辞書的に言えば、現実にそこにあると感じられること、あるいは人間のことといったように理解されるだろう。この語感には、現代人の人間の生存を肯定的に捉えているところがある。さらには、人間を生き物の中で最も高位にある者とする欧米由来の感覚が、現代日本人に沁み込んでいるとうことにも関わっているのではないかと思う。

 

 これに対し、仏教の存在了解には、生きとし生けるものは平等である、という感覚がある。その中で、人間に生まれるということは、仏教徒の基本的なあり方を示す三帰依文に「人身受け難し」(『真宗聖典』中表紙)と示されているように、「有り難い」(有ることが難しい)ことなのだという感覚があるのである。

 

 この感覚をたどると、その背景にはインドの思想に見られる輪回転生の生存了解があるとされる。仏教の六道流転の生存理解は、インド古来の生命観に由来すると言われる。現在の生存の背景には、遠い過去の時間があり、それが生々流転とも言われる。現在の生存は自分の意志や意欲で選んだのではなく、過去の深く遠い因縁の重なりや蓄積が現在にまで来たものなのであろう。

 

 この因縁の重なりや蓄積が日常の自己を取り巻く事情となることで、自分の思うようにならない事件や出会いが生じてしまうと感じるのである。このことは、運命論とは異なるとされる。運命論の前提には、存在を決定づける必然性は自分の外部にあるという理解があるからである。それに対して六道流転してきた自己という理解には、現在の自分の思いのままにはならないとはいえ、自分が今ここに存在しているのは、曠劫以来の自分の過去があるからだという感覚がある。

 

202421日)

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第246回「存在の故郷」①

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

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 「故郷」という言葉は、生まれ育った場所を離れて生活する場合に、帰りたい場所への切望と共に用いられることが多い。この語に伴って、懐かしい人々、その人々との生活、祭りや市場など、さまざまな想い出や情景が脳裏に浮かんで、そこへ帰りたいという欲求が強烈に呼び起こされるのである。

 

 ところが現代の多くの人々には、そういう情緒や情念を呼び起こす機会すら失われ、帰郷するべき場所を喪失しているようである。会社勤めなどの経済活動に忙しく、故郷喪失者となった人々が群れとして集合しているというのが現代の多くの都市生活者の状態であろう。

 

 筆者の場合は、故郷となるべき場所が、現在は隣国である中国の領土となっている。言うまでもないことだが、日中戦争の発端となった「満洲(まんしゅう)」なる場所のことである。清国の王朝の出自たる中国東北部のことなのだが、ここに日本が武力で進出して、清朝最後の皇帝であった溥儀を新たに皇帝に立てて建ち上げたのが、いわゆる傀儡(かいらい)国家とされている満洲国なのである。

 

 筆者はこの満洲国時代の開拓集落(弥栄村)に生まれて、幼少期をそこで過ごし、敗戦によって引揚者となったのである。だから、生まれ故郷はどこかと問われたら、異国の土地の、現在はそこに帰ることができない場所を指し示さざるを得ないことになるのである。このことに縁って、私は現在、世界でたくさんの方々が難民状態に陥っている事実や、その人々が懐いているであろう故郷喪失感に同感・同情を覚えずにはいられない。

 

 この故郷喪失という情念を、或る特定の状況のこととしてではなく、現代の時代社会の大多数の方々にも妥当することとして、考察してみたい。現代社会は、便利さと快適さにおいては、いままでのいかなる時代にもまして、優れていると言うべきであろう。しかし、その便利さと快適さの中にどっぷりと浸かっていることにより、他の時代と比較してではなく、当今の現在において生きることの意欲が減退し、自己存在の深みという意味が欠落しつつあるのではないだろうか。

 

 このことを、故郷喪失による自己の意味喪失として考えるなら、この故郷喪失の問題は人間存在の深みを問い直す契機として、大切な事柄であると言えよう。すなわち、存在の根底に、そこへ帰郷するべきであると言うことができる真の故郷を持つことができていないということ、そのことは自己自身の信頼すべき根拠を喪失しているということを意味しているのであり、その喪失感に由来する自己喪失感、すなわち自己自身への不信感とも言うべき事柄なのではないか。

(2024年元日)

 

※「満洲国(まんしゅうこく)」の正式表記は「洲」を用いるため本稿でも正式表記にならっております。

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今との出会い第243回「磁場に置かれた曲がった釘」

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親鸞仏教センター主任研究員

加来 雄之

(KAKU Takeshi)

 西田幾多郎(1870-1945)は、最後の完成論文「場所的論理と宗教的世界観」(1945)の中で、対象論理と場所的論理という二つの論理を区別したうえで、次のように述べている。

 

真の他力宗は、場所的論理的にのみ把握することができるのである。

(『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波文庫、1989年、370頁)

 

 現代思想において「真の他力宗」、つまり親鸞の思想の本質を明らかにしようとするとき、この「場所」もしくは「場」という受けとめ方が有効な視点となるかもしれない。

 

 キリスト教の神学者である八木誠一氏は、(人格主義的神学に対して)場所論的神学を説明するとき次のような譬喩を提示されている。

 

軟鉄の釘には磁性がないから、釘同士は吸引も反発もしないが、それらを磁場のなかに置くとそれぞれが小さな磁石となり、それらの間には「相互作用」が成り立つ。……磁石のS極とN極のように、区別はできるが切り離すことができないもののことを「極」という。極と対極とは性質は違うが、単独では存立できない。

(八木誠一『場所論としての宗教哲学』法藏館、2006年、4頁)

 

 八木氏は、神の場における個のあり方を、磁場に置かれた釘が磁石になること、磁石となった釘がS極とN極の二極をもつこと、それらの磁石となった釘同士の間に相互作用が成立することに譬えておられる。また、かつてアメリカ合衆国のバークリーにある毎田仏教センター長の羽田信生氏が、如来の本願と衆生との関係を磁場と釘に譬えられたことがあった。二人のお仕事を手掛かりに、私も親鸞の「真の他力宗」を、磁場に置かれた釘に譬えて受けとめてみたい(以下①~⑤)。

 

①軟鉄の釘であれば、大きな釘であっても小さな釘であっても、真っ直ぐな釘であっても曲がった釘であっても、強い磁場の中に置かれると、その釘は磁石の性質を帯びるようになる。釘の形状は問わない。

 

 曇鸞は、他力を増上縁と述べ(『浄土論註』取意、『真宗聖典』195頁参照)、親鸞は「他力と言うは、如来の本願力なり」(『真宗聖典』193頁)と言っている。強い磁場、つまり強い磁力をもった場は、如来の本願のはたらきの譬えであり、さまざまな形状の釘は多様な生き方をする有限な私たち衆生の譬えである。釘が強力な磁場の中に置かれることは、衆生が如来の本願力に目覚めることの、軟鉄の釘が磁気を帯びて磁石となることは、衆生が如来の本願力によってみずからの人世を生きるものとなることの譬えである。

 

 強い磁場の中に置かれた軟鉄の釘が例外なく磁力をもつように、如来の本願力に目覚めた衆生は斉しく本願によって生きるものとなる。また如来の本願力についての証人という資格を与えられる。八木氏は、先に引いた著作の中で、神の「場」が現実化されている領域を「場所」と呼び、「場」と「場所」を区別することを提案されているが(詳細は氏の著作を参照)、その提案をふまえて言えば、衆生は如来の本願のはたらきという「場」においてそのはたらきを現実化する「場所」となるのである。

 

②磁場に置かれ、磁石の性質を帯びた釘は、等しくS極とN極をもつ。SとNの二つの極は対の関係にある。二つの極は区別できるが切り離すことはできない。

 

 S極を衆生(Shujo)の極、N極を如来(Nyorai)の極に譬えてみよう。(語呂合わせを使うと譬喩が安易に感じられてしまうかもしれないが、わかりやすさのために仮にこのように割り当ててみた。)如来の本願力という場に置かれた私たちの自覚は、衆生のS極と如来のN極という二つの極をもつ。S極は、衆生の迷いの自覚の極まりである。衆生の自覚の極は如来の眼によって見(みそなわ)された「煩悩具足の凡夫」という人間観を深く信ずることである。N極は如来の本願のみが真実であるという自覚の極まりである。如来の本願力という場に入ると私たちはこの二つの極をもった自覚を生きる者とされるのである。

 

③磁石の性質を帯びた釘のN極だけを残したいと思って、何度切断しても、どれだけ短く切断しても、磁場にある限りつねに釘はS極とN極をもつ。

 

 衆生の自覚は嫌だから、如来の自覚だけもちたいというわけにはいかない。如来の本願力の場における自覚は、衆生としての迷いの極みと如来としての真実の極みという二つの極をもつ自覚である。どちらか一方の極だけを選ぶということはできないのだ。またこの二つの極をもつ自覚に立たなければ、その自覚は真の意味での「場」の自覚とはいえない。このような自覚は、「を持つ」と表現できるような認識でなく、「に立つ」とか「に入る」と表現されるような場所論的な把握であろう。

 

④磁力を与えられた釘の先端(S極かN極)には、別の釘を連ねていくことができる。N極に繋がる釘の先端はS極になる。二つの釘は極と対極によってしか繋がらない。

 

 私たちが如来の本願力を現実化している人に連なろうとすれば、私たちは衆生の極をもってその人の如来の極に繋がらなくてはならない。如来の極をもっては如来の極に繋がることはできない。衆生の極においてのみ真に如来の極を仰ぐことが成り立つのだ。むしろ如来の極に繋がるときに、はじめて衆生の極も成り立つと言うべきかもしれない。

 

 「真の他力宗」の伝統に連なるときもそうなのだろう。法然の自覚のS極の対極であるN極に、親鸞のS極の自覚が繋がるのである。だからこそ親鸞にとって法然は如来のはたらきとして仰がれることになる。私たちも親鸞の自覚のN極にS極をもって繋がる。そして私たちの自覚は二つの極をもつ場所となる。

 

⑤強い磁場に置かれていると軟鉄の釘も一時的に磁石となり、磁場を離れても磁力を保つが、長くは持続しない。

 

 長く如来の本願力の場に置かれた衆生が一時的にその場を離れても、その自覚は持続する。しかし勘違いしてはならない。その衆生は決して永久磁石になったわけではない。『歎異抄』の第九章(『真宗聖典』629〜630頁参照)が伝えるように、場を離れた自覚は持続しない。

 

 私たちは永久磁石ではない。永久磁石であれば磁場に置いておく必要はないから。私たちは金の延べ棒でもない。金であれば磁場におかれても磁力をもつことはないから。軟鉄であっても錆びると磁力をもつことはできない。錆びるとは衆生としての痛みを忘れることに譬えることができる。

 

 私は小さな曲がった釘である。私は、如来の本願力という磁力の場に置かれた小さな曲がった釘でありたい。私の課題は、永久磁石になることではなく、如来の本願力という磁場の中に身を置き続けることである。それは贈与された教法の中で如来からの呼びかけを聞き続けること、つまり聞法である。私はこの身を如来の本願力という場に置き、如来の本願力を現実化している場所と連なっていくことができるように努めたいと思う。

 

 「譬喩一分」と言うように、この譬喩で、親鸞の思想を厳密にあらわすことはできないし、また他にも共同体の形成などの問題を考慮しなければならないが、少しでも「真の他力宗」をイメージするための手がかりになればと思う。

(2024年元日)

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『親鸞仏教センター通信』第87号

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巻頭言

「勤行・阿弥陀仏・寂しさ」

 研究員 大胡 高輝

■ 連続講座「親鸞思想の解明」報告

「浄土に生まれるとは 本願を信ずるということ

 講師 本多 弘之

■ 第71回現代と親鸞の研究会報告

「わかりやすい救済」に 抗うために 

 ―リスク管理社会の人間観―

 講師 磯野 真穂

■ 第8回清沢満之研究交流会報告

世紀転換期の宗教思想運動Ⅱ

―近角常観・日蓮主義・哲学館―

報告 碧海 寿広

報告 ブレニナ・ユリア

報告 長谷川琢哉

■ 聖典の試訳(現代語化)『尊号真像銘文』末巻

菊池 弘宣 「聖覚和尚の銘文」③

コラム・エッセイ
講座・イベント

刊行物のご案内

研究会・Interview

第245回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑯

公開講座画像

親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

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 先回確認した『一念多念文意』」』のこの了解は、『教行信証』「信巻」において展開されている本願成就文の了解でもある。それは、我らに発起する信心は、本願成就の信心であり、如来回向の信心であるということである。

 

 本願成就の文の中程に「至心回向」(「『無量寿経』、『教行信証』「信巻」引文、『真宗聖典』233頁)という語があるのだが、その「至心」も「回向」も、「信巻」の三一問答において、衆生の側に属する事柄ではなく、大悲の如来の側に属する事柄であることが明らかにされている。そのことを明白にするために、本願成就の文の「至心回向」以下の文を「本願の欲生心成就の文」(『教行信証』「信巻」、『真宗聖典』233頁)と、親鸞は名付けてもいるのである。この「欲生心」は如来の大悲が発起して、衆生に「勅命」として呼びかける心心だというわけである。

 

 その理解をもって、『一念多念文意』の文の「至心回向」以下の段を読んでみよう。

 

「至心回向」というは、「至心」は、真実ということばなり。真実は阿弥陀如来の御こころなり。「回向」は、本願の名号をもって十方の衆生にあたえたまう御のりなり。

(『一念多念文意』、『真宗聖典』535頁)

 

 このように、本願を成就するとは、如来が不実なる凡夫をみそなわして、しかもその不実を超えて真実を恵まんとするこころが現実化する、ということだとされるのである。我らが不実の凡夫であるとは、無明煩悩を取り払うことなどできず、自我に愛着して自己主張や自己の権利要求にのみ生涯を費やしてしまう存在であるということである。愚痴に覆われ欲望が深い存在であることを、徹底的に知らされながら、しかもそういう無明煩悩が満ち満ちている衆生に、如来の大悲がどこまでも寄り添って、そういう執着の深い存在を横ざまに超えて(衆生の側の努力や意志によることなく)真実を恵むのだ、と知らされるところに、大悲願心の超越性を信ずるという教えの構造がある。


 これを善導は『観無量寿経』の三心の深心釈において、信心に「二種あり」(『観無量寿経疏』「散善義」、『教行信証』「信巻」引文、『真宗聖典』215頁)と言って、矛盾するような構造を持つ二種の信が並立していることこそが、「深心」の語で押さえられる信心であることを示されるのである。


 これによって親鸞は、煩悩具足の身の事実は変えることなどできないが、しかし、悲願成就の証しにおいて、現生の正定聚が我らの信心に与えられる利益だとされるのである。それが、「即得往生(すなわち往生を得〔え〕)」(『教行信証』「信巻」、『真宗聖典』233頁)の語で教えられている報土得生という意味でもあるとさえ述べておられるのである。


 摂取の心光を煩悩の身に感受するとき、闇を生きている一面を忘れることなく、しかも摂取の光の暖かさに触れるのだとされるのである。深信の二面を同時に信知することが、如来回向の他力の信であるということであり、つまり大悲が名号として衆生に呼びかけているところにこの二種の信を同時に成就する作用が我らに恵まれるということなのである。


(2023年11月1日)

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今との出会い第242回「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」

今との出会い第242回

「ネットオークションで出会う、アジアの古切手」

「ネットオークションで出会う、

アジアの古切手」

親鸞仏教センター嘱託研究員

伊藤 真

(ITO Makoto)

 最近、ネットオークションで古い切手を競り落とすことにはまっている。私はデンマークの思想家キルケゴール(1813–55年)に関する本を読むのが好きで(研究ではなく単なる趣味だ)、関連情報をインターネットで検索することもあるせいか、ある日、パソコンの画面上に、デンマークの雑多な切手を袋詰めした商品の広告が表示された(検索履歴などに基づく「プッシュ型」の広告だ)。普段ならば無視してしまうが、少年時代に切手収集を趣味にしていた私は、何とはなしに広告をクリックしてみた。

キルケゴールの記念切手:[左]没後100年(1955年)、[右]生誕200年(2013年)

 切手収集の初心者がコレクションを始めるのに最初に買うような、文字通り二束三文と思われる古い記念切手や普通切手20〜30枚が袋詰めにされている。ところが広告の画像を拡大して切手を順に見ていくと、なんとそこにキルケゴールの肖像切手が1枚入っているではないか。調べてみると没後100年を記念した1955年の切手だが、普通切手と同じ小さなサイズで、地味なエンジ色の背景に晩年の冴えない肖像が使われている。だがそのみすぼらしい感じのするキルケゴールの切手との出会いに私は心を捉われ、初めてネットオークションに入札。雑多な袋詰め切手を買う人はいないとみえて、無事に落札した(実はその後、苦悶した才気煥発(さいきかんぱつ)な青年思想家時代の肖像を使った、2013年のキルケゴール生誕200周年の記念切手も入手した)。

 それからというもの、長らく休眠していた切手収集という趣味の虫が半世紀ぶりに蠢(うごめ)きだした。だがネットオークションというのはどことなく危うい気もする。リアルな切手店とは異なり、売り手と買い手はネット上のオークション・サイトを通じてのみつながっていて顔も見えないし、オークションという性質上、競争心と購買意欲が——つまり我執や所有欲という煩悩が——煽られる。このため自分で入札は一件いくらまで、ひと月合計いくらまでと上限を設定して自制しつつ楽しんでいる。

仏印(上・中段)と英領ビルマ(下段)の切手。上段はフランス風な意匠の切手(1899–1906年)と、[左]カンボジア女性と[右]ベトナム(安南)女性(1907年)。中段はジャンク船とアンコールワット(1931–41年)。下段はエキゾチックな英国王ジョージ6世の肖像切手(1938年以降)

 さて、最近集めるようになったのは、東アジアや東南アジアのかつて欧米列強や日本の植民地支配を受けた地域の戦前・戦中の切手だ。郵便切手は1840年にビクトリア女王の肖像をデザインして英国で発行されたペニー・ブラックに始まり、まずは欧米から普及したが、アジアでも比較的早くから植民地政府により発行された。英領マレー(現在のマレーシアとシンガポールなど)、オランダ領東インド(蘭印、ほぼ現在のインドネシア)、スペイン領フィリピンなどでは1850–60年代にすでに本国の君主の肖像などをデザインしたものが発行され、フランス領インドシナ(仏印、現ベトナム、ラオス、カンボジア)などでも19世紀のうちに切手が登場している(日本は1871年)。19世紀や20世紀初頭の切手は実にクラシックな意匠や色調が美しく、惚れ惚れとして眺めているだけであっという間に時が過ぎてしまう(私は特に仏印や英領マレー、英領ビルマ[現ミャンマー(ビルマ)]などのエキゾチックな意匠のものが好きだ)。しかし同時に、植民地支配を受けたアジア諸国の歴史に思いを馳せる時、その美しさには悲しみが混じる。切手収集では一般的に未使用(ミントと言う)のものが価値が高いが、私は消印の押された使用済みのものをなるべく集めるようにしている。それは、実際に往時の人々が使った切手であり、人々の生活や時代の一端に触れることができる気がするからだ。だが戦前・戦中のアジア諸国の使用済み切手は、使った人が現地の人か支配者側かを問わず、列強の植民地支配下で営まれた生活の証であるだけに、いっそう複雑な思いを掻き立てるのだ。

 アジア諸国の古切手の中でも、特に人々の運命の変転を感じるのは、「加刷(かさつ)」ものの切手に出会った時だ。「加刷」とは、急激なインフレ時や、特定の単価の切手が不足した時に、額面変更のために既存のデザインの切手に新たな単価などを上から重ねて印刷することだ。だがアジアの植民地時代の切手の場合、新たな支配者が自前の切手を発行できるようになるまでに、既存の切手にバッテン、消し線、その他の印や新たな国名や切手発行の意味合いなどを加刷し、暫定的に流通させたものがある。

フィリピン(上・中段)と英領マレー(下段)の切手。上段は[左]スペイン統治時代(国王アルフォンソ12世肖像、1880年代)、[中]米国統治時代の自治政府(コモンウェルス)による加刷切手(1936年)、[右]日本が勝利の文言を加刷した切手(1942年)、中段は日本統治時代、下段は英領マレー占領後の日本による加刷切手

蘭印の切手。[左上]ウィルヘルミナ女王の肖像切手の日本による加刷例(1942年)、[右]日本統治時代(1942–45年)、[左下]日本統治時代の切手を使ったインドネシア共和国による加刷切手

 例えば1942年に日本が占領した米領フィリピンでは、米国当局発行の切手に「祝バターン、コレヒドール陥落、1942」という何とも散文的な英文文字が加刷された(翌年には勇ましげな意匠に「フィリッピン郵便」「バターン、コレヒドール陥落一周年記念」という文言がヘンテコなカタカナの活字で記された切手が新たに発行され、以降「比島郵便」と刷られた各種切手が発行されていく)。英領マレーのイスラム文化の薫るモスクの切手や、支配者である英国王ジョージ6世の肖像に椰子の木をあしらった南国風な切手は、日本がマレー半島を占領した直後、国王の顔やモスクの上に「大日本郵便」という文字が「加刷」されて使用された。蘭印の切手でも、オランダのウィルヘルミナ女王の顔の上に刷られた日本の郵便マークや「大日本帝国郵便」の文字、日本語による地名表記などがまるで焼印のようだ。しかし、世の無常と言うべきか、(欧米列強も日本も)驕れる者は久しからずと言うべきか、蘭印では1945年、戦時中に日本当局が発行した切手の日本語部分を消し線で潰し、独立を宣言したインドネシア共和国がRepoeblik Indonesiaという赤い文字を加刷した切手が現れた。加刷切手は私たちに過去を見つめることを迫るのである。

上段は満州国の切手(1932–34年)で、左端が「通郵」切手。下段は満州帝国の切手(1934–45年)

 一方、アジアの切手といえば、漫画『満州アヘンスクワッド』や昨年の直木賞・山田風太郎賞ダブル受賞作の小説『地図と拳』などで話題の「満州国」(正しくは「満洲国」)も興味深い。1932年、執政の地位に就いた愛新覚羅溥儀の肖像をあしらって「満洲国郵政」と刻した切手が発行された。その溥儀は、かつての清朝皇帝という仰々しいイメージではなく、洋装で現代風ではあるが、なぜかどこか心ここにあらずといった弱々しい風貌である。1934年に溥儀が満州国皇帝に即位すると、同じ意匠の切手に新たに「満洲国郵政」と記されるが、溥儀の肖像はそのままである。満州国の切手には別に「通郵」切手というものがある。国章の花がデザインされているが、満州国の「ま」の字も刷られていない。これは実は、満州国を承認しなかった中華民国宛の郵便専用に発行された切手だ。実務上、両国間の郵便を維持するための、苦肉の策だったのだろう。「五族協和」の「王道楽土」建設を標榜した満州国の通郵切手を見る時、私たちは何をどう思う(べき)だろうか。

 アジアの珍しく、多くは美しい古切手との出会いには、歴史に触れる楽しみがあるが、それだけでなく、今を考えさせられることもある。例えば先述した蘭印のウィルヘルミナ女王の肖像切手。オランダ王国女王として1890–1948年と半世紀以上も王座にあったウィルヘルミナは(植民地主義国の君主ということの当否はともかくとして)、実はユリアナ、ベアトリクスと、2013年まで3代・125年近く続いたオランダの女王の時代の幕開けを飾った女性なのだ。この女王の肖像の頰に郵便マークを加刷した当時の大日本帝国は、言うまでもなく男性である裕仁(昭和)天皇の御世である。それから80年になろうとする今日の日本は、世界の男女平等度ランキングでひどく低迷したままで(国の順位の問題というより、実際は私たちが属する各種集団・組織のあり方や価値観が問われるのだが)、女性天皇をめぐる議論もいつの間にやら立ち消えになってしまったようである。アジアの美しくも悲しい古切手は、「今はどうなのか?」と、時には私たちに疑問も投げかけてくるのである。

(2023年10月1日)

 最近、ネットオークションで古い切手を競り落とすことにはまっている。私はデンマークの思想家キルケゴール(1813–55年)に関する本を読むのが好きで(研究ではなく単なる趣味だ)、関連情報をインターネットで検索することもあるせいか、ある日、パソコンの画面上に、デンマークの雑多な切手を袋詰めした商品の広告が表示された(検索履歴などに基づく「プッシュ型」の広告だ)。普段ならば無視してしまうが、少年時代に切手収集を趣味にしていた私は、何とはなしに広告をクリックしてみた。

 切手収集の初心者がコレクションを始めるのに最初に買うような、文字通り二束三文と思われる古い記念切手や普通切手20〜30枚が袋詰めにされている。ところが広告の画像を拡大して切手を順に見ていくと、なんとそこにキルケゴールの肖像切手が1枚入っているではないか。調べてみると没後100年を記念した1955年の切手だが、普通切手と同じ小さなサイズで、地味なエンジ色の背景に晩年の冴えない肖像が使われている。だがそのみすぼらしい感じのするキルケゴールの切手との出会いに私は心を捉われ、初めてネットオークションに入札。雑多な袋詰め切手を買う人はいないとみえて、無事に落札した(実はその後、苦悶した才気煥発(さいきかんぱつ)な青年思想家時代の肖像を使った、2013年のキルケゴール生誕200周年の記念切手も入手した)。

キルケゴールの記念切手:[左]没後100年(1955年)、[右]生誕200年(2013年)

 それからというもの、長らく休眠していた切手収集という趣味の虫が半世紀ぶりに蠢(うごめ)きだした。だがネットオークションというのはどことなく危うい気もする。リアルな切手店とは異なり、売り手と買い手はネット上のオークション・サイトを通じてのみつながっていて顔も見えないし、オークションという性質上、競争心と購買意欲が——つまり我執や所有欲という煩悩が——煽られる。このため自分で入札は一件いくらまで、ひと月合計いくらまでと上限を設定して自制しつつ楽しんでいる。

 さて、最近集めるようになったのは、東アジアや東南アジアのかつて欧米列強や日本の植民地支配を受けた地域の戦前・戦中の切手だ。郵便切手は1840年にビクトリア女王の肖像をデザインして英国で発行されたペニー・ブラックに始まり、まずは欧米から普及したが、アジアでも比較的早くから植民地政府により発行された。英領マレー(現在のマレーシアとシンガポールなど)、オランダ領東インド(蘭印、ほぼ現在のインドネシア)、スペイン領フィリピンなどでは1850–60年代にすでに本国の君主の肖像などをデザインしたものが発行され、フランス領インドシナ(仏印、現ベトナム、ラオス、カンボジア)などでも19世紀のうちに切手が登場している(日本は1871年)。19世紀や20世紀初頭の切手は実にクラシックな意匠や色調が美しく、惚れ惚れとして眺めているだけであっという間に時が過ぎてしまう(私は特に仏印や英領マレー、英領ビルマ[現ミャンマー(ビルマ)]などのエキゾチックな意匠のものが好きだ)。しかし同時に、植民地支配を受けたアジア諸国の歴史に思いを馳せる時、その美しさには悲しみが混じる。切手収集では一般的に未使用(ミントと言う)のものが価値が高いが、私は消印の押された使用済みのものをなるべく集めるようにしている。それは、実際に往時の人々が使った切手であり、人々の生活や時代の一端に触れることができる気がするからだ。だが戦前・戦中のアジア諸国の使用済み切手は、使った人が現地の人か支配者側かを問わず、列強の植民地支配下で営まれた生活の証であるだけに、いっそう複雑な思いを掻き立てるのだ。

仏印(上・中段)と英領ビルマ(下段)の切手。上段はフランス風な意匠の切手(1899–1906年)と、[左]カンボジア女性と[右]ベトナム(安南)女性(1907年)。中段はジャンク船とアンコールワット(1931–41年)。下段はエキゾチックな英国王ジョージ6世の肖像切手(1938年以降)

 アジア諸国の古切手の中でも、特に人々の運命の変転を感じるのは、「加刷(かさつ)」ものの切手に出会った時だ。「加刷」とは、急激なインフレ時や、特定の単価の切手が不足した時に、額面変更のために既存のデザインの切手に新たな単価などを上から重ねて印刷することだ。だがアジアの植民地時代の切手の場合、新たな支配者が自前の切手を発行できるようになるまでに、既存の切手にバッテン、消し線、その他の印や新たな国名や切手発行の意味合いなどを加刷し、暫定的に流通させたものがある。

フィリピン(上・中段)と英領マレー(下段)の切手。上段は[左]スペイン統治時代(国王アルフォンソ12世肖像、1880年代)、[中]米国統治時代の自治政府(コモンウェルス)による加刷切手(1936年)、[右]日本が勝利の文言を加刷した切手(1942年)、中段は日本統治時代、下段は英領マレー占領後の日本による加刷切手


 例えば1942年に日本が占領した米領フィリピンでは、米国当局発行の切手に「祝バターン、コレヒドール陥落、1942」という何とも散文的な英文文字が加刷された(翌年には勇ましげな意匠に「フィリッピン郵便」「バターン、コレヒドール陥落一周年記念」という文言がヘンテコなカタカナの活字で記された切手が新たに発行され、以降「比島郵便」と刷られた各種切手が発行されていく)。英領マレーのイスラム文化の薫るモスクの切手や、支配者である英国王ジョージ6世の肖像に椰子の木をあしらった南国風な切手は、日本がマレー半島を占領した直後、国王の顔やモスクの上に「大日本郵便」という文字が「加刷」されて使用された。蘭印の切手でも、オランダのウィルヘルミナ女王の顔の上に刷られた日本の郵便マークや「大日本帝国郵便」の文字、日本語による地名表記などがまるで焼印のようだ。しかし、世の無常と言うべきか、(欧米列強も日本も)驕れる者は久しからずと言うべきか、蘭印では1945年、戦時中に日本当局が発行した切手の日本語部分を消し線で潰し、独立を宣言したインドネシア共和国がRepoeblik Indonesiaという赤い文字を加刷した切手が現れた。加刷切手は私たちに過去を見つめることを迫るのである。

蘭印の切手。[左上]ウィルヘルミナ女王の肖像切手の日本による加刷例(1942年)、[右]日本統治時代(1942–45年)、[左下]日本統治時代の切手を使ったインドネシア共和国による加刷切手

 一方、アジアの切手といえば、漫画『満州アヘンスクワッド』や昨年の直木賞・山田風太郎賞ダブル受賞作の小説『地図と拳』などで話題の「満州国」(正しくは「満洲国」)も興味深い。1932年、執政の地位に就いた愛新覚羅溥儀の肖像をあしらって「満洲国郵政」と刻した切手が発行された。その溥儀は、かつての清朝皇帝という仰々しいイメージではなく、洋装で現代風ではあるが、なぜかどこか心ここにあらずといった弱々しい風貌である。1934年に溥儀が満州国皇帝に即位すると、同じ意匠の切手に新たに「満洲国郵政」と記されるが、溥儀の肖像はそのままである。満州国の切手には別に「通郵」切手というものがある。国章の花がデザインされているが、満州国の「ま」の字も刷られていない。これは実は、満州国を承認しなかった中華民国宛の郵便専用に発行された切手だ。実務上、両国間の郵便を維持するための、苦肉の策だったのだろう。「五族協和」の「王道楽土」建設を標榜した満州国の通郵切手を見る時、私たちは何をどう思う(べき)だろうか。

上段は満州国の切手(1932–34年)で、左端が「通郵」切手。下段は満州帝国の切手(1934–45年)

 アジアの珍しく、多くは美しい古切手との出会いには、歴史に触れる楽しみがあるが、それだけでなく、今を考えさせられることもある。例えば先述した蘭印のウィルヘルミナ女王の肖像切手。オランダ王国女王として1890–1948年と半世紀以上も王座にあったウィルヘルミナは(植民地主義国の君主ということの当否はともかくとして)、実はユリアナ、ベアトリクスと、2013年まで3代・125年近く続いたオランダの女王の時代の幕開けを飾った女性なのだ。この女王の肖像の頰に郵便マークを加刷した当時の大日本帝国は、言うまでもなく男性である裕仁(昭和)天皇の御世である。それから80年になろうとする今日の日本は、世界の男女平等度ランキングでひどく低迷したままで(国の順位の問題というより、実際は私たちが属する各種集団・組織のあり方や価値観が問われるのだが)、女性天皇をめぐる議論もいつの間にやら立ち消えになってしまったようである。アジアの美しくも悲しい古切手は、「今はどうなのか?」と、時には私たちに疑問も投げかけてくるのである。

(2023年10月1日)

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第244回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑮

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

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 本願の信心においては、現生の正定聚、すなわち必定して仏果に至りうるという不退転の信念を、現生の有限なる生存状態において実現できる、と親鸞は述べている。この正定聚の課題についてであるが、釈尊在世の頃には、仏弟子に「必ず成仏するであろう」と予言することが、仏陀釈尊によって為されていたとされている。しかしその後、時を経て、仏陀無き時代になって、成仏の必然性を確信することが仏道の過程において、どのようにして確保されるかということが問題になっていったのである。

 

 法蔵願心は、この問題を衆生の根本問題であるとして、十方衆生を必ず成仏させようと誓うのである。そのことを示しているのが第十一願である。そして、『無量寿経』下巻の始めに第十一願の成就が説き出されてくるのである。その第十一願成就文には、

 

それ衆生ありてかの国に生ずれば、みなことごとく正定の聚に住す。所以は何ん。かの仏国の中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり。

(『真宗聖典』44頁)

 

とある。「かの国に生ずれば」とあるので、この文は明らかに此土ではなく彼土のことを述べたものとして読むべきなのであろう。法蔵願心が、自己の国土の持つ大テーマとして、一切衆生の成仏の必然性を誓っているのであるから。

 

 ところが、親鸞は晩年の『一念多念文意』において、

 

釈迦如来、五濁のわれらがためにときたまえる文のこころは、「それ衆生あって、かのくににうまれんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。

(『真宗聖典』536頁)

 

と、原文の「生者」を「生ずれば」ではなく、「うまれんとするものは」と訓んで、本願の果である報土に生まれようとする因位、すなわち願生の位の利益として考察しておられるのである。

 

 そこでは第十一願の因果を語り出すに先立って、第十八願の成就文を解釈されている。そこに「至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」(『真宗聖典』44頁)という文を、独自の読経眼で読み解いている。詳細は『一念多念文意』に譲るが、そこでは「願生彼国 即得往生 住不退転」について、

 

「即得往生」というは、「即」は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。「得」は、うべきことをえたりという。真実信心をうれば、すなわち、無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。「摂」は、おさめたまう、「取」は、むかえとると、もうすなり。おさめとりたまうとき、すなわち、とき・日をもへだてず、正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり。

(『真宗聖典』535頁)

 

と述べて、願生と得生を「即」の言で結んであるところに、本願の信心に「住不退転」の利益が存することを明白に説き出されている。

 

(2023年10月1日)

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第243回「法蔵菩薩の精神に聞いていこう」⑭

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親鸞仏教センター所長

本多 弘之

(HONDA Hiroyuki)

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 法蔵菩薩の誓願が一如宝海から発起するということを、『大無量寿経』では「超発」(『真宗聖典』14頁)と表現している。それは、煩悩具足の凡夫に普遍的に与えられている仏性の成就、すなわち『大般涅槃経』が言うところの「一切衆生悉有仏性」(『教行信証』「信巻」、「師子吼菩薩品」引文、『真宗聖典』229頁)の成就たる成仏には、凡夫自身にはその可能性が全くないにもかかわらず、それを必ず成就させようとする大悲の必然があるのだということである。先回触れたように、ここで「超発」とされてくることを、親鸞は一如宝海より形を現し御名を示してくることとして了解した。それは曇鸞が、「法性法身に由って方便法身を生ず。方便法身に由って法性法身を出だす」(『教行信証』「証巻」、『浄土論註』引文、『真宗聖典』290頁)と注釈しているからであると拝察する。

 

 法蔵願心が、誓願を超発するということは、文字や分別に執着してやまない凡夫に、その執着を突破した存在の本来性たる法性に帰らしめんがための方便を与えようということである。寂静なる法性と虚妄分別してやまない凡夫の執着との間を直接つなぐ橋は架けられない。虚妄というあり方で分別する以外には、我ら凡夫の存在了解は成り立ち得ないのである。

 

 そのことを明瞭に知りながら、それを超えて彼方から橋を架けるがごとくに、法蔵願心は本願を超発するという。そのことを菩薩として受け止めるとはどういうことなのか。龍樹が『十住毘婆沙論』で、軟心の菩薩のために難易二道を示して、大乗の菩薩に課せられた、不退転地に至るという課題に応えようとするところには、このような不可能を可能にするべく大悲の願心が超発しているということが見通されていなければならないのであろう。

 

 菩薩十地の初地は、「歓喜地」(『教行信証』「行巻」、『十住毘婆沙論』引文、『真宗聖典』162頁)と名付けられている。その歓喜の意味とは、仏道に入門し仏法を聞思してきた菩薩が、仏道の究極にある「大菩提」を、自分において「必ず成就することができる」と確信し得た喜びであるとされている。菩薩道の成就を確信する歓喜なのである。そこに「初」と言われているのは、仏道成就の確信が、「初めて」成り立ったことを表し、また『華厳経』(六十華厳)に「初発心時便成正覚」(「梵行品」、『大正新脩大蔵経』第9449頁下段)と説かれているように、初めて発心したとき、正覚を必ず成就できることとして見通されていることを示している。その可能性として表明された信念を、確実なものとする道を龍樹は求めた。「十地品」(『華厳経』)の釈論である『十住毘婆沙論』では、難易二道とされて、あたかも相対的な選びが可能であるかのごとく表現されているが、親鸞にあっては、難行は陸上の隘路のごとく、易行は水上の乗船の大道のごとくに了解されているのである。

 

 こういう展開を下敷きにして本願の意図をいただいてみるなら、曇鸞が第十一願に着目したことも、もっともだと思う。さらには、親鸞がこの願によって正定聚・不退転を真実信心の利益として、現生に「正定聚に入る」(『教行信証』「信巻」、『真宗聖典』241頁)と確信されたことも了解できるのである。

 

(2023年9月1日)

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